・インテグリティが求められる背景とは?
・インテグリティとは何か?
・インテグリティの欠如した人物とは?
・インテグリティのある人物を見極めるには?
・ポジションによって変わるインテグリティ
インテグリティとは何か?なぜ今必要なのか?
誰もがスマートフォンを使いこなし、SNSが普及している現代では、人は情報を発信する側にも受信する側にもなれる時代となった。このため、ネガティブな情報も、またたく間に何百万人ものユーザーに広がり、不正や嘘は強い口調で叩かれる炎上※という事態を招くこととなる。
しかも、一度炎上してしまうと、その事実は数年、数十年先も消えることはなく、傷跡として残り続ける。
特に企業の場合は虚偽の情報を発信したり、クレームに対して不誠実な対応をしたりすれば、またたく間にその情報は広まり、信頼を大きく失墜させる結果となる。これは企業の存続をも左右しかねない大きな打撃となるのだ。
そして、ここで注目すべきは「企業の」という主語であっても、その構成員のたった一人だけでも不法行為や不誠実な行動をしてしまえば、たとえその企業全体が企てたことではなくても、企業イメージが著しく毀損するということだ。
ツイッターの公式アカウントにおいて、常識を疑われるような的はずれなコメントや異常な意見をツイートする、コンビニの店員などが店内で悪ふざけしている動画をユーチューブにアップして削除されたいといったことからも分かるように、一従業員の不用意な投稿でもすぐに拡散され、企業全体の危機を招いてしまう。
ここにインテグリティが重要視される背景がある。
インテグリティとは、「真摯さ」「高潔さ」「真摯さ」などを指す言葉であり、全体性や完璧性を表すラテン語の「integritas」が由来とされている。
前述の通り、特にネット上の不祥事やトラブルなどにより企業が炎上の的になることも増えており、よりインテグリティという概念が重要になってきている。
インテグリティとは、特にアメリカにおいて組織のあり方やマネジメントで必要とされている概念で、管理者研修やリーダー教育の際に用いられることも多い。
インテグリティは、法的、倫理的、社会的な面で不正をせずに業務にあたることはもちろん、社会貢献や新しい価値の想像といった社会に向けての責任や道義、CSRなどの企業倫理など、さまざまな側面から論じることができる幅広い概念である。
日本ではまだ聞き慣れない言葉ではあるが、海外、特にアメリカでは、企業の経営方針や企業理念には、「integrity」という文言が頻繁に使われており、トップから従業員の一人ひとりにまで求められる姿勢として重視されている。
インテグリティが欠如していると、組織運営に大きな影響をもたらすため、人材を採用し、育成する立場にある人事の現場においては、特に意識すべき概念だといえる。
しかし、「誠実さ」や「真摯さ」といった姿勢や態度は多分に個人的な感覚によるところが大きいため、これをスッキリと定義するのは困難でもある。
そこでその定義や考え方と、特に人事担当に求められるインテグリティの要素について考察する。
※炎上:「ウェブ上の特定の対象に対して批判が殺到し、収まりがつかなさそうな状態」「特定の話題に関する議論の盛り上がり方が尋常ではなく、多くのブログや掲示板などでバッシングが行われる」
総務省「令和元年版 情報通信白書」より
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/pdf/n1400000.pdf
インテグリティのない状態から見えるもの
インテグリティが提唱された歴史は古く、世界最高の投資家と呼ばれるウォーレン・バフェットと、マーケティングの父と呼ばれるピーター・ドラッガーの二人の先人がそれぞれに言及しているのでそれを引用してみよう。
・ウォーレン・バフェットのインテグリティ
スティーブ・シーボルト著「一流の人に学ぶ自分の磨き方」には、ウォーレン・バフェットが以下のように語ったと記されている。
「人を雇うときは三つの資質を求めるべきだ。すなわち、高潔さ、知性、活力である。高潔さに欠ける人を雇うと、他の二つの資質が組織に大損害をもたらす」
ウォーレン・バフェットの場合はここでいう「高潔さ」がインテグリティの和訳である。つまり、知性や活力だけでも短期的な利益や利潤を得ることはできるかもしれないが、インテグリティを伴わない知性や活力は危険でさえあり、それならばいっそ知性がない人間や、やる気のない人間を雇うほうがましだとまで、バフェットは主張したのだ。
・ピーター・ドラッカーのインテグリティ
1954年の著作である「現代の経営」の中でピーター・ドラッカーは、「人は人の不完全なることを許す。ほとんどの欠陥を許す。しかし一つの欠陥だけは許さない。それが真摯さの欠如である。」、「学ぶことのできない資質、習得することができず、もともと持っていなければならない資質がある。他から得ることができず、どうしても自ら身につけていなければならない資質がある。それは才能ではなく真摯さである」と表現している。ここでいう真摯さがインテグリティであり、経営で最も重要な資質は、才能や知識ではなくインテグリティであると強調しているのだ。
さらに、いかに知識や才気があってもインテグリティが欠けていれば組織が腐敗し、反対に頼りなく不作法者であったとしても、真摯さがあれば許される、とまで言っている。
しかし、二人の先人が示す、「高潔さ」「真摯さ」はとても抽象的な概念であり、身近に感じることが困難なのも事実だ。ピーター・ドラッカー本人すら、「インテグリティの定義は難しい」と語っているほどだ。
その一方で、「インテグリティの欠如」を定義するのは難しくないともドラッカーは語り、インテグリティの欠如した人物の具体例を挙げている。
ここでは、インテグリティのない人物像からその定義に迫ってみよう。
インテグリティがない人物とは?
・人の強みではなく、弱みに焦点を合わせる者
・冷笑家
・「何が正しいか」よりも「誰が正しいか」に関心をもつ者
・人格より頭脳を重視する者
・有能な部下を恐れる者
・自らの仕事に高い基準を定めない者
こうして列記してみると、「効率や利益を優先する」「人よりもまず自分ありき」「現状に甘んじて成長を望まない」といった人物像が浮かび上がってくる。
また、こういった人物の思考の底には「バレなければいい」「多少公益性に反することをしてもなんとかごまかせる」といった情報隠蔽に対する鈍感さも垣間見える。
こうした思考は、インターネットの普及で情報の公開が当たり前となり、なによりも透明性の高い企業運営を求められる現代では、まったく通用しなくなっていることを忘れないでおきたい。
つまり、インテグリティは、他人からの視線をしっかりと意識することから生まれるともいえよう。
社会や、クライアント、ユーザー、同僚など、あらゆる関係者、ステークホルダーに不利益や不快感を与えないか、むしろ利益や快適さを周囲に提供し続ける人間であるかどうか、といった客観的な視点を持って仕事をすることからインテグリティが自然と身についてくるのだ。
また、「何が正しいか」よりも「誰が正しいか」に関心をもつ者、という人物像を反転させてみると、たとえ心服する上司からの命令だとしても、不誠実な行為に対しては「NO」と言えるのがインテグリティを持った人材だといえる。
別の言い方をすれば、組織や社会の同調圧力に屈しない人材こそが、高潔さや真摯さといったインテグリティを持つ存在だといえる。
そのため、人事担当としては、インテグリティに優れた人材を獲得しよう、あるいはこれから育成していこうと考えるなら、逆に、前掲のような、インテグリティの欠如を物語る特徴にスポットを当ててその人物を判別すればよいことになる。
ポジション別のインテグリティ
企業におけるインテグリティの発揮のされ方や重要度は、そのポジションによって変わってくる。経営者のインテグリティと従業員に求められるインテグリティは、自ずと異なるのだ。
以下にポジション別のインテグリティを紹介しよう。
・企業としてのインテグリティは公益性の重視
企業は利潤を追求する組織であることを考えれば、自社で市場を独占すれば、利益も拡大し、事業の成長性は高まるに違いない。
ただし、一社で市場を独占すれば自ずとどこかに無理や偏りが生じてくる。企業がインテグリティを意識するならば、競合他社であってもこれと共生し、お互い助け合っていくことで公益性が育まれることとなる。
さらには、インテグリティを重視して企業同士に業界や利害関係を超えた結びつきがあれば、VUCA(「Volatility=変動性」「Uncertainty=不確実性」「Complexity=複雑性」「Ambiguity=曖昧性」から、それぞれの頭文字をとった造語)と呼ばれる何が起きるか予測不能な時代にあって、相互扶助による問題解決や緊急事態への対応という危機管理にも有効なのだ。
企業がインテグリティを意識するということは、社員一人ひとりが「インテグリティとは何か」という主体的な意見を持つということにつながる。各従業員が主体性を持ち、インテグリティに基づくお互いの価値観を尊重し会える状態は、企業をより良い方向に成長させていく重要な要素となる。
・経営者におけるインテグリティは全社員に影響を及ぼす
経営者が持つインテグリティは組織にとって最も影響力が強く、全社員に影響を及ぼすことは間違いない。そのため、経営者のインテグリティが会社の将来を左右すると言っても過言ではないだろう。経営トップが利益だけを追求せず、より高い視点から公益性や、社会貢献への真摯な姿勢を見せることが企業のインテグリティを高めていく。
・人事にこそインテグリティが必要
現在は、採用と育成に責任を持つ人事担当者にこそインテグリティが強く求められる時代だといえる。
なぜなら、求職者の学歴や経歴、スキルやノウハウといったいわゆる「スペック」に惑わされず、その人物の人格を見極めて判断し、採用と教育の方針を決めることが必要だからだ。これを可能にするのは人事担当者自身が持っているインテグリティに他ならない。
大手企業でさえもいつ潰れるか分からない時代にあっては、人事担当者自身がインテグリティを身に着け、これを重視した採用活動を行うことこそが、次代の会社を担う高潔さと真摯さを備えた人材を獲得し、育成していくための近道なのだ。
・管理職のインテグリティは社員の尊重
管理職は「何が正しいのか」をしっかり見極めさえすれば、インテグリティは身についていくに違いない。
例えば、不正を働きそうな社員に対しては、単に上からの視線で叱ったり、嫌われるのをおそれて社員におもねってしまうことなく、その社員自身の意見や立場も尊重しながら、自分が嫌われる覚悟を持って真摯に向き合うことが、結果として会社のためになっていく。
さらには、人材難の現在では、育成にコストのかかる従業員を組織として切り捨てるのではなく、重要なリソースとして、どうしたらその能力を最大限に引き出せるのかを模索することもインテグリティに結びついていく。
つまり、組織の理論だけでなく、一人の人格として従業員を尊重するところから管理者のインテグリティは始まるといえるだろう。
・従業員に求められるインテグリティは主体性
インテグリティと混同されがちな概念に「コンプライアンス」がある。
それぞれに詳しい定義は省くが、コンプライアンスとインテグリティの最大の際は「主体性」の有無だといえる。
つまり、コンプライアンスは「組織が決めた規範を社員に守らせる」というニュアンスが強いのに対して、インテグリティには、「社員自らの価値判断で規範を自発的に実行する」という自発的、主体的な意識が働いているのだ。
つまり、従業員におけるインテグリティは、ただ指示待ちになるのではなく、自分の一つの意見や行為が世間へ大きな影響を与える可能性があることを自覚し、不正はごまかさず、ミスは即座に報告するといった行為が求められる。
自分の利益や保身のためではなく、自身や会社の尊厳のために業務を推進していく、という感覚を育てることが、インテグリティを持った従業員育成のポイントとなるだろう。
まとめ
・インテグリティとは、「真摯さ」「高潔さ」「真摯さ」などを指す言葉であり、全体性や完璧性を表すラテン語の「integritas」が由来とされている。特にネット上の不祥事やトラブルなどにより企業が炎上の的になることも増えており、よりインテグリティという概念が重要になってきている
・インテグリティが欠如していると、組織運営に大きな影響をもたらすことになるため、人材を採用し、育成する立場にある人事の現場においては、特に意識すべき概念だといえる。 しかし、「誠実さ」や「真摯さ」といった姿勢や態度は多分に個人的な感覚によるところが大きいため、これをスッキリと定義するのは困難でもある
・世界最高の投資家と呼ばれるウォーレン・バフェットと、マーケティングの父と呼ばれるピーター・ドラッガーの二人の先人がそれぞれにインテグリティを重要視している。バフェットは「高潔さ」と定義し、ドラッガーは「真摯さ」と定義した
・インテグリティは社会や、クライアント、ユーザー、同僚など、あらゆる関係者、ステークホルダーに不利益や不快感を与えないか、むしろ利益や快適さを周囲に提供し続ける人間であるかどうか、といった客観的な視点を持って仕事をすることから自然と身についてくる
・企業におけるインテグリティの発揮のされ方や重要度は、そのポジションによって変わってくる。経営者のインテグリティと従業員に求められるインテグリティは自ずと異なる
・特に大手企業でさえもいつ潰れるか分からない時代にあっては、人事担当者自身がインテグリティを身に着け、これを重視した採用活動を行うことこそが、次代の会社を担う高潔さと真摯さを備えた人材を獲得し、育成していくための近道となる