■VUCA時代に試される、働く個人の「適用する力」
■日本で希求される「リカレント教育」の特色とは?
■若い人の認知度が低い「リカレント教育」
■意欲が高い背景にある働く個人の「焦り」
■「リカレント教育」が労使双方にもたらすメリットとは?
■日本での「リカレント教育」普及にあたっての課題点
近年注目されるリカレント教育とはそもそも何?
VUCA(「Volatility=変動性」「Uncertainty=不確実性」「Complexity=複雑性」「Ambiguity=曖昧性」から、それぞれの頭文字をとった造語)時代とよばれる現代。加速していくビジネス環境における技術革新によって、働く個人の求められる能力や価値観、考え方などは、今までになく多岐にわたり、かつ高速で変化し続けている。これは近年目覚ましいスピードで発達している人工知能(AI)技術や、企業で進むデジタル化(DX)などが関連していると考えられているが、働く個人と社会全体に最も影響を与えているのは、これらが巻き起こす変化のスピードである。
かつて、テレックスやファックス、またはコンピュータが普及し始めた頃は、「新しい技術は扱える人間、若い人間に任せる」というスタンスの企業も多かったことであろう。これは、社会全体に、新しい技術とこれを用いたビジネス環境が整い、かつ必須とされる状況が生まれるまでの普及速度が比較的にゆったりとしたペースで進んでいたからである。
しかし、スマートフォンが急速に社会へ普及していき、従来のフィーチャーフォンが淘汰されていった現象のように、時代が変化していく速度はとても速く、これに伴って働く個人に求められているスキルや考え方も「適応すること」を求められているといえよう。
このため、先のコンピュータを例にとれば、コンピュータを使用できることは、働く個人としてもはや「前提条件」であり、これからの時代の人材登用では、コンピュータやスマートフォンを用いて「何ができるのか」という点が重視されるといって間違いない。それでは、このVUCA時代における激しい技術革新による社会変化へと、働く個人が適用していくためには、どのようなことが必要とされているのか。
ひとつの可能性として、「社会人の学び直し=リカレント教育」の重要性が認識されはじめている。
リカレント教育とは、スウェーデンのエコノミストであるゴスタ・レーンによって提唱された考え方であり、激しい変化を伴う現代社会に適応するためには、「働くこと」と「学ぶこと」を交互に行うことが許容された状態にあることを趣旨としている。
そもそも北米や欧州ではリカレント教育を含む、教育と労働の関係性を捉える視点が日本とは異なっており、欧米ではフルタイムで働くこととフルタイムで学ぶことを繰り返すという行為を奨励するのに対して、日本ではキャリアにブランクが空くことを避ける傾向が強いといわれている。
このため、日本におけるリカレント教育とは、本来の語意と比べてより広範にあたるとされ、働き続ける中で発生する変化に対して「適用すること」に重点を置いた学び直し、といった意味合いで使われることが多い。
事実、政府においてもこの認識を踏襲した上での政策推進を検討しており、2020年11月に開かれた衆議院予算委員会において、当時就任後間もなかった菅首相は「デジタル化やAIなどが、働く人に求められるスキルを急速に変化させている。技術革新と産業界のニーズに合った能力開発を推進していく必要がある」との発言をしていることからも、政府が労働市場における急激な環境変化を認識していることがわかる。
その上で、菅首相は「リカレント教育を推進することで、個人に求められる能力、スキルを身に付けられるように支援していきたい」と発言しており、教育訓練給付金制度や、企業による人材育成を奨励する支援策を用意する考えを示していることからも、加速しながら変化していく現代社会に、働く個人が適応する力を官民一体で支援していく必要性が求められていることがわかる。
具体的に日本でのリカレント教育に限って考えた場合、休職や退職をして学ぶことへの障壁を下げつつ、休退職せずとも学び続けることができる環境、たとえば高等教育機関の社会人枠の拡張や、夜間部または聴講制度の充実などが重要であろう。
本稿では、注目されるリカレント教育に期待されることや、そのメリットと課題について考えていく。
リカレント教育の認知度と期待とは
厚生労働省が2017年に発表した「人生100年時代構想会議 中間報告」では、海外の研究において2007年に生まれた子どもの半数以上が将来107歳より長く生きると推計されていることを踏まえて、現在でも日本は長寿社会を実現しているが、将来はさらに健康寿命が延び、世界一の長寿社会を迎えるとの研究予想が紹介されておる。
政府としても日本社会が過去に例を見ない長寿社会へ突入する予測があることを認識しているということになる。
ヒトの寿命が延びていくということは、健康寿命も延伸するということであるから、「働く時間」もこれに比例することが考えられる。前項でも述べたとおり、現代は変化が加速していき複雑で曖昧さが増していく空前のVUCA時代を迎えており、人生において10代後半や20代前半までに学んだことのみで一生を過ごすことは非常に難しくなりつつある。
政府が提唱する「人生100年時代」では、人生の再設計ができる社会、つまり年齢に捉われることなく、学び直しや職場への復帰、または転職を可能とする「リカレント教育」が求められている。
そこで、日本におけるリカレント教育の認知度と、リカレント教育に期待されていることを、株式会社ワークポートが発表したリカレント教育についての調査結果(2020年2月/有効回答数:全国の転職希望者307名)から紐解いていきたい。
1. 若年層に馴染みがない「リカレント教育」
そもそも「リカレント教育」という単語は、どれくらい認識されているのか。ワークポート社の調査では、「知っている」と回答した人が20.8%、「聞いたことはある」と回答した人が25.7%で、「知らない」と回答した人は過半数の53.4%であったことから、まだまだ人事部門や一部のキャリア自律意識が高い働く個人などに限定された用語となっている現状が垣間見える状況だ。
過半数となった「知らない」と回答した人の割合をみていくと、20代がもっとも多く62.8%、30代が56.4%、40代が42.3%となった。特筆して若年層での認知度が低く、壮年層になっていくにつれ認知度が上がるという結果から、学業から離れた年数が多いほど学び直しに対する意欲や意識が高くなる可能性について示唆しているといえよう。
2. 「学び直し」の背景から垣間見える、働く個人の焦り
若年層でのリカレント教育の認知度の低さとは対照的に、VUCA時代の幕開けともいえる価値観の衝突とも捉えることができる数値が調査からわかる。
「改めて学び直しをしたことがない」という人に、「学び直しをしたいと思うか」と尋ねたところ、「とても思う(32.6%)」と「やや思う(44.7%)」を合わせた割合が8割近く(77.3%)となり、学び直しの経験がなくても意欲が高い人が多いことがわかる。
理由についても、「自分の市場価値を高め、選択肢を増やせる」、「常に学び続けて成長したい」、「終身雇用が崩壊するといわれているなか、勉強し続けなければ今後生き残っていけないと感じる」といった声が聞かれることから、戦後続いた従来の社会からVUCA時代への過渡期における働く個人特有の危機感を思わせる回答が目立った。
一方で、少数派(22.8%)ではあった「あまり思わない(16.7%)」と「まったく思わない(6.1%)」に回答理由を尋ねたところ、「仕事の現場で学ぶことのほうが身につくことが多いと思う」といった従来型のワークスタイルに近い価値観に基づく回答が一定数あったことから、今がまさしくVUCA時代における過渡期であることを伺わせる調査結果であるといえよう。
3. 働く個人の9割は学び直しのある企業に魅力を感じる
また、多くの働く個人がリカレント教育を奨励する施策を用意する企業に好意的であるという調査結果もある。
同調査の「学び直しやスキルアップのための支援や取り組みを行っている企業に魅力を感じるか」という設問に対して、「とても感じる(64.5%)」と「やや感じる(29.0%)」が合計して93.5%となり、「あまり感じない(4.6%)」や「まったく感じない(2.0%)」と回答した1割弱(6.6%)と比べた場合でも、圧倒的な差があることがわかる。
他方、働く個人の多くが現在所属する会社では学び直しの機会が十分に与えられていないと感じており、「現在の会社(直近の会社)で、学び直しの機会はあるか」という設問では、「ある」と回答した人は24.8%、「わからない」と回答した15.0%であったのに対し、「ない」と回答した人は過半数の60.3%にものぼった。調査からは、従業員は学び直しの機会が与えられることを望みつつも、その機会が十分に企業から与えられていないと感じていることがわかる。
出典:株式会社ワークポート
かつての高度経済成長期を支えた企業構造や社会構造は、デジタル化やコロナ禍により大きな変革を迫られており、重ねて戦後間もないころと現代とでは、健康寿命も大きく異なっていることから、官民によるリカレント教育の機会拡大推進が社会に与える影響は極めて大きいといってよい。
次項では、リカレント教育が日本で浸透していく場合のメリットや、現状認識されている課題などについてみていこう。
リカレント教育に取り組むメリットと課題
ここまで、加速して変化していきつつ、複雑さと曖昧さとが混じり合う現代社会において、学び直しを通して働く個人が激しい変化へ適応することを促すリカレント教育の概要と、日本において予測される更なる健康寿命の延伸、これに伴う働く期間が延びることによるリカレント教育の重要性と期待されていることについて見てきた。
では、リカレント教育に対して働く個人と企業の双方が取り組むことで、どのようなメリットがあり、あるいはリカレント教育を推進する社会の実現に向けてどのような諸課題があるのだろうか。順を追って確認していきたい。
1. 従業員のメリット:能力向上から期待できる年収増
高い専門性を求められる職種や業種ほど、頻繁できめ細やかな知識のアップデートを必要とするが、一旦社会人となってしまった場合、現状の日本社会では、業務から得られる知識や、そのほか独学で休日に身に着けられること以外に、新たに学修をするという機会は得られないことが多い。
特に、昨今では日進月歩で情報技術が発達していることもあり、変化が加速している時代であるからこそ、より新しい知識や情報を把握することができる環境が求められている。
また、リカレント教育による継続的な学び直しは、自身の更なる専門性や市場価値の上昇を意味することでもあり、長期的に見た場合、結果として年収の向上が期待できる。これは、2018年度の内閣府「年次経済財政報告」でも、自己啓発の実施有無が年収変化に与える差額は、「1年後には有意な差はみられないが、2年後では約10万円、3年後では約16万円」と報告されているとおり、学び直しが年収に有意な影響を与えていることがわかる。
2. 企業のメリット:従業員の生産性改善と企業の業績向上
従業員が積極的な学び直しを行うことは、企業にとってもメリットが大きい。自社において与えられている業務に対してのエンゲージメントが高い従業員は、学び直しを通して更なる自己研鑽に励むため、業務上の生産性がより高くなる傾向にあるからだ。
また、これら働くことに対するモチベーションが高い従業員へ継続的な学び直しの機会創出を行うことは、白紙状態から新人を教育するよりもはるかにコストダウンが期待できる。
また、優れた人材が継続的に学び直し、生産性を高めつつ自社で活躍できる環境が整っている場合、これは企業の業績にも直結するものであるため、優れた人材がパフォーマンスを発揮してくれることにより、業績向上を期待することも可能だ。
しかし、こうしたメリットがある一方で、リカレント教育を日本で推し進めるにあたって、下記のような課題があることも事実であり、今後改善されていくべき事項だといえる。
1. 従業員の懸念:学び直しがキャリアアップへの足掛かりになるか足かせになるか不透明
日本は、社会に出た後に学び直すということに対する理解が比較的浅い文化を有しているといえる。
キャリアにブランクが空いていたりすることがデメリットとして見受けられる場合もあることから、このような雇用慣習や企業文化は、働く個人が次のキャリアアップのためにリカレント教育を受けるという選択肢に対する大きな障壁の一つであると考えられる。
また、改善が見られ始めているとはいえ、大学の社会人編入試験や、聴講制度などは、まだまだ拡充の余地があり、今後の高等教育機関と政府の政策に注目したいところである。
2. 企業の懸念:従来型の雇用体系を維持する企業の場合、従業員の定着率が課題となる可能性
ひとつの企業で長く働くなどといった旧来の雇用慣習が根強く残る日本では、昨今の激しい人材獲得競争もあり、企業は自社人材のリテンションに注力しているといえよう。
そのため、学び直しの機会を与えることによるキャリアアップのための転職を奨励しかねない事態は、避けたいという思惑も企業側に垣間見える。
また、前出の「社会人」になった後の学び直しを奨励しない文化も相まって、なかなかリカレント教育の本質である働く個人の市場価値向上を通した、組織としての企業全体の市場競争力強化という点が、理解されていないといえる。
まとめ
・VUCA時代と呼ばれる、絶えず変化し続ける市場競争において、企業がそうであるように、働く個人もまた変化に適応し、生き残る力が試されているといってよい。そこで重要となる施策が、政府も推進していく考えを示している「リカレント教育」であり、変化に適応するために「学び直す」機会が与えられ、これが許容される社会への変容が求められている。
・リカレント教育はもともと北欧で生まれた考え方であり、フルタイムの就学と就労を繰り返すことが広く認知され、奨励される欧米社会に親和性の高い考え方である。一方、日本ではキャリアを中断することにデメリットを感じることが浸透した社会であるといえる。そのため、日本でのリカレント教育では、働き始めた後に休職や退職をせずとも、しっかりと変化する社会に適応するために学び直すことができる大学の夜間部や社会人聴講制度などの充実、また企業による人材教育支援の充実がカギとなってくる。
・日本は将来、世界一の健康寿命を誇る長寿社会を迎えると推計する研究結果も出ている中、働く年数が延伸していくことが予想されることから、リカレント教育の重要性は間違いなく高まっている。しかし、ワークポート社の調査によると、より長寿になるであろう若年層における「リカレント教育」という言葉に対する認知度が高くないことがわかった。逆に壮年層になっていくにつれ、認知度が上がるという結果から、学業から離れた年数が多いほど学び直しに対する意欲や意識が高くなっていることがわかる。
・多くの働く個人が「学び直し」の機会を提供したり、学び直しを推奨したりする企業に魅力を感じているが、実際に自分が働いている企業にこれが充実していると回答する人は少ない。しかし学び直しの経験がないと回答している人も含め、学び直しへの意欲はとても高く、その理由としてあげられているのは終身雇用の崩壊によって、市場価値を高めて生き残りを図るという、労働者の「焦り」であることが、ワークポート社の調査からわかる。
・リカレント教育を日本でも推し進めた場合、働く個人にとっては年収増加などのメリットを享受でき、企業にとっては従業員の能力向上による業績アップが期待できる。働く個人にとって学び直しの場や時間を企業から与えられた場合、これにより自身の能力や専門性をアップデートし、さらなる年収増加につながる機会を得る。また、企業にとっては、優秀な人材がさらに知識をアップデートすることにより、一人ひとりの生産性が改善され、一から新人を育てるよりもコストパフォーマンスが高い上、優秀な人材の能力最大化を通した業績向上を期待できる。
・日本でのリカレント教育の普及にあたり、働く個人にとってのキャリアプラニング上の不安と、企業にとっての従業員の定着率に対する不安という、2つの大きな障壁が存在している。1つ目は、従業員が学び直しを希望する場合でも、退職や休職をして学び直しを行った場合に、リカレント教育が自身のキャリアにおけるブランクとして認識されるのではないかという不安である。2つ目は、優秀な人材が、リカレント教育を通じてより良い条件を提示する他社へ流出してしまうのではないかという、企業にとっての懸念である。