■変革を迎えている今、問われる組織人材マネジメントのあり方
■変化の激しいビジネス環境で働く多様な「人」が紡ぐ複雑な関係
■世の中で最も難解で複雑な、人間と人間の関係
■対人関係とは、それぞれの立場が織りなす「物語(ナラティブ)」だ
■最も大事な、相手に寄り添い、分かってあげるということ
■ナラティブ・アプローチにおける4つのポイント
近年注目されているナラティブアプローチ
加速しながら変化していくビジネスを取り巻く環境、多様化していく従業員、ますます進んでいく働き方改革など、現代の「職場」では、さまざまな要素が複雑に絡み合うことによって、時として、起きている問題を自覚することや捉えること自体が難解になりつつある。
こうしたVUCA(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性を意味する英単語群の頭文字から成る造語)といわれる時代において、この流れが加速していくことは間違いない。
企業にとってヒエラルキー構造の組織運営や支配的リーダーシップなど、組織やリーダーのあり方において、従来の「当たり前」が変化を見せ始め、今まさしく大きな変革期を迎えており、これからは、組織の人材マネジメントのあり方をより根本的に見直すことが求められていくだろう。
そもそも組織としての企業とは、上長と部下、経営者と従業員、フロント部門とバックオフィス、製造と開発など、さまざまな関係が複雑に絡み合って内在するものだ。
理論上は、完璧な指揮命令の関係で成り立つピラミッド構造を有するヒエラルキー型組織や、フラットな環境を重視する輪を描くようなボトムアップ型の組織であることが望ましいが、現実はというと、大小さまざまな意見の相違や対立が組織内のいたるところで起こり、互いの主張や見解が完全に一致させて、自社の強みを最大限に引き出しつつ業務が円滑に回り続ける、ということは不可能に近い。
このため、前述のとおり、よりさまざまなバックグラウンドを持つ従業員の、多様な意見をまとめあげながら、または互いに尊重し、理解しあえる組織運営を行っていくことは至難の業であろう。現代の人事部門や現場の管理者は、複雑になりつつあるこれらの問題と向き合うことが求められている。
そのなかでも、中間管理職がメンバーをマネジメントすることは、特筆して難しくなりつつある。株式会社リクルートマネジメントソリューションズ によると、世の中の企業で働く中間管理職の約7割はプレーヤーでもあり、そのうち4割以上はプレーヤーとしての業務が過半数近い45%以上を占めるという。
※参考:リクルートマネジメントソリューションズ、埼玉大学大学院 宇田川元一准教授との「組織における対話方法の開発」に関する共同研究 中間成果を公表
チームや部門ごとの予算進捗や業績管理などのマネージャーとしての管理業務に加えて、プレーヤーとしての実務も抱える現状は、まさに業務過多の傾向にあるといってよい。管理職が管理業務に集中できない環境は、マネジメント業務が不完全であることを意味しており、結果として組織内のコミュニケーションに支障をきたすことになりかねないのだ。
組織内のコミュニケーションが不足することから起こる問題として考えられることは、部下と上長との間での認識の齟齬が原因によるハラスメント、これを原因としたどちらかのメンタル不調、更には最悪のケースでの休職や早期退職などがある。もちろん、意見の相違に由来する組織内の不和をそのままにしておくと、事業の停滞を引き起こしかねないことは言うまでもないことだ。
従来であれば、上長が部下に訓戒したり、管理部門が当該部署へ直接赴いて指導や相談をすれば解決できていた問題も、急速に変化するビジネス環境と、多様化していく個人の価値観とが相まって、これらのアプローチが通用しなくなりつつある。
こうした状況を打開するために最近注目されているのが、「ナラティブ・アプローチ」である。本稿では、ナラティブ・アプローチが、これからの時代の組織人材マネジメントのあり方に及ぼす影響についてみていく。
そもそもナラティブとは何か?
ビジネスシーンに限った話ではないが、人間と人間の関係ほど複雑怪奇で難解極まるものはないといってよいだろう。
ときに立ち止まり、ときに壁にぶつかりつつも、うまく行くときもある。しかしビジネスの現場での話となると、長い人生の中でも多くの時間を費やすこととなる職場において、人間関係がうまく機能していない場合、働く個人にとって大きな負担となりえる話で、より深刻な場合だと精神的な障がいにも結び付きかねない大きな問題と化する可能性がある。これは仕事の効率やエンゲージメントにも関わってくるため、組織での良好な人間関係は、企業と働く個人の双方にとって非常に重要な問題だ。
たとえば、上司と部下との関係では、前提として指揮命令をする側と業務命令を遂行する側という明確な立場の違いがあるわけだが、これとは別に両者の考え方に大きな相違ができてしまうと、その溝を埋める努力や互いに理解しあうことが、前述の立場の違いを理由に、より難しくなってしまう。また、どうしても業務命令を受ける側であることを考えると、部下にしわ寄せが行きやすいという問題も生ずるわけだ。
このような人間関係における障壁を取り払う、新しいアプローチとして期待されているのがナラティブアプローチなのだが、そもそもナラティブとはどのような意味を持つのか、ここで確認しておきたい。
ナラティブ(narrative)とは、もともとは文芸理論で用いられていた専門語であり、和訳した場合、「物語」や「叙述」を指す。転じて使われるナラティブ・アプローチとは、1980年代後半ごろから用いられ始めた概念であり、1990年代に入ってから幅広い対人支援の現場で実践されるようになっている方法論だ。
そのようなナラティブ・アプローチだが、いまだにその定義は明確ではなく、非常に広い概念を持つ方法論に対する呼称となっている。大づかみとして「人々の語りや物語に着目し、その語りを通してなんらかの現象に迫る実践方法」を意味しているといえよう。幅広い対人支援の現場、例えば司法、医療、臨床心理、ソーシャルワーク、キャリアコンサルティングなど、多岐にわたる現場にて取り入れられているアプローチだが、それぞれのフィールドや研究者などによって定義が異なり、前述のとおり、定まった方法論ではない。
この「ナラティブ」という語を、「語り手の解釈の枠組み」という概念で捉えることで、より良い人間関係を構築する上でのキーワードであると提唱しているのが、埼玉大学経済経営系大学院の宇田川元一准教授だ。
宇田川教授は、たとえば組織内で上長と部下がわかり合うことができないのは、「互いに見えている景色が異なるからだ」と説く。つまり、上長は「部下は自分の命令を聞くのが当たり前だ」という前提(ナラティブ)の基づいて思考・発言を行い、部下も「上司はこうあるべき」という先入観と既成概念(ナラティブ)に基づいて行動していることから、両者に見えている光景が異なることに依拠した、埋まらない「ナラティブの溝」の問題が発生するわけだ。
ここで重要なのは、どちらが正しく、もう片方が間違っているという話ではなく、いかにナラティブ・アプローチを用いてこの両者の溝を埋めていくかという点だ。
対立し合う二つの(あるいはそれ以上の)立場が、それぞれに作り上げていったナラティブで他者をみているうちは、議論をしたとしても平行線をたどるだけとなってしまうため、対話を通じたナラティブ・アプローチが必要とされる。
では、企業などの組織におけるナラティブ・アプローチとは、いったいどのような取り組みがあるのか。次項では、企業組織において、どのようにナラティブ・アプローチを活用して良好な人間関係を維持していくことができるかについて、みていく。
ナラティヴ・アプローチを組織の活性化に活かすには?
もともと司法領域や心理・医学の臨床現場などで活用されることが多いナラティブ・アプローチだが、そのコアとなる考え方は、相談者が話す物語を聞き、そこから新たなストーリーを生み出し、聞いた話を再構築していくことで、その人らしい解決法を共に見つけていくことにある。
そのため、専門家が、自身のナラティブをもとに助言や指導を行うのではなく、あるいは相談者の問題に対して何らかの判定を行うわけでもない。むしろ専門性はいったん置いておき、子供のような、初めて話を伺う心構えで相談者の話を聞くことを最重要視する。ナラティブ・アプローチの根幹は、ここにあるといってよい。
ビジネスシーンに当てはめて考えていくと、ナラティブ・アプローチは、組織を安定させ、そこで働く従業員の定着を促すために、企業の活性化に活かすことができる手法であり、視点である。
いかなる組織においても、「同じ組織だが、話が通じない」といった声や、「同じ目標を共有することができない」といった声などの、組織内の人間関係において見えない障壁が存在する。
ビジネスの現場へナラティブ・アプローチの考え方を取り入れていくことで、「他者とのかわりあえない」と感じる声を最小化していき、企業の安定した発展に資する組織づくりを実現する可能性が高まるわけだ。
ナラティブ・アプローチの根幹にある重要な考え方は、「対話」をすること。
ここでは、事業部門の中間管理職や管理部門の人事担当者が、現場の従業員から相談を受けたという想定ケースの下、企業で活用できるナラティブ・アプローチの4つのポイントを紹介していこう。
1. 傾聴すること
企業においてナラティブ・アプローチを実践するには、まず「語り手の物語(ドミナント・ストーリー)」を聞くことからはじまる。たとえ語り手の物語に本人の拘りや思い込みが多く含まれるとしても、まずはドミナント・ストーリーに耳を傾けることで、問題がどこにあるのかということを、相手の立場から語ってもらうことがカギとなる。
たとえば、企業において部下が上司に相談をしてきたとする。このとき、話の途中で指摘や見解を申し伝えるのではなく、部下の話すことを最後まで聞き、その内容にとことん耳を傾けることで、まずは部下がどのような「思い」と「立場」にあって相談をするに至ったかという部分を顕在化させることができる。
2. 抱えている課題を外在化させること
次に、心に抱える問題をどんどん言葉に出させることで、外在化を実践する。
このことで、語り手の多くは主観的だった問題を自ら客観的に捉える第一歩に立てるようになるわけだ。悩みを抱える多くの人は、自身の偏った認知と価値観に基づく、ネガティブな記憶や経験を結び付けた物語を語ることが多い。
たとえば、従業員が日常的に上長に𠮟咤されている現状を、「至らない自分が悪い」だとか「問題があるのは自分の方だ」といった具合に考えてしまう状態だ。これが内在化している状態であり、どんどん「状態」を言葉に替えていくことで、抱える問題と本人とを切り離す外在化をすることで、客観的に問題をとらえる機会をつくる。
3. 反省的思考を促す問いを投げかけること
問題を外在化させたところで、こんどは抱える問題が自分を悩ませ続けている要因や出来事、経験などの要素を考察していく。
これは、問題と感情を分離することで、混沌とした「悩み」から問題を抽出し、解決できる状態の「課題」へと転化させていくことを意味する。そのためには「問いかける」ことがとても重要となってくる。
たとえば、上司に叱咤されることが多い従業員に対しては、「上長は、なすこと全てを否定しているのか」だとか「これまで仕事で上手くいったことを聞かせてほしい」といった、過度にマイナスな経験に基づく物語がつくられている相談者に対して、そうではない経験談やポジティブな記憶を思い起こさせ、同じく言語化してもらうことが、「悩み」を「課題」へと転化するカギとなる。
4. 例外的要素に気づき、「もうひとつ」の物語を築くこと
聞き手が傾聴しつつも反省的思考を促す問いを繰り出していくことで、当初のドミナント・ストーリーとは異なる「物語」の断片がいくつも出てくる可能性がある。
これらのユニークな要素を見つけ出し、この部分についてさらに掘り下げて傾聴していくことで、もとのドミナント・ストーリーとは違った物語(オルタナティブ・ストーリー)が顕在化してくる。
たとえば、職場での人間関係に悩んでいた従業員だが、上長に叱咤されたり、同僚との関係がうまくいっていないと考えていた当初のドミナント・ストーリーから、傾聴、問題の外在化、そして反省的思考を促した結果、相談した当初思い込んでいた物語(ナラティブ)が、まったく違う文脈で捉えなおされること(オルタナティブ・ストーリーの顕在化)によって、結果的に建設的な方向に考えることができた、という変容を起こすことが可能となるのだ。
まとめ
・VUCAと呼ばれる現代において、従来型の組織運営やリーダーシップが淘汰される時代となりつつある。さまざまな考え方や働き方を許容する方向に社会が動き始めているが、組織を運営する上で欠くことができない良好な人間関係の構築においても、これまでの方法が通用しなくなりつつあるため、より良い組織の人材マネジメントのあり方が求められている。
・多様化していく個人の価値観と組織の変革が相まっていく中で、上司と部下の間での齟齬や意見の相違などが生じた場合、最も好ましくないケースとしてどちらかの離職を招く可能性もある。こうした組織内の不和に上手く対処できない場合、事業の停滞などを引き起こしかねないことから、組織内の人間関係における問題は、企業にとってとても重要な課題となる。
・ビジネスの現場に限らず、人間と人間の関係ほど複雑怪奇で難解極まるものはない。しかし、長い人生の中で多くの時間を過ごすであろう職場において人間関係がこじれると、働く個人にとって大きな負担となる。また、これは仕事を行う上での効率やエンゲージメントにも影響を及ぼすため、良好な人間関係の維持は、企業と従業員の双方にとって重要な問題だ。
・もともと文芸理論で使用されていた「ナラティブ」という語だが、物語や叙述を意味しており、ビジネスシーンでは、対立する立場の主張を、自身の文脈から読み解こうとするときの前提のことを指す場合が多い。このような前提にもとづく議論は、平行線を辿りやすく、相手と理解しあえないという弊害を生む場合がある。
・ナラティブ・アプローチでもっとも大事なことは、専門的または組織内で上位に位置する人間が、指導や判定をするのではなく、相手の立場に立って対話を繰り返していくことだ。対話の繰り返しから、組織内の「話が合わない」だとか「わかりあえない」と思い込んでいた他者との関係が再規定されはじめるものだ。
・ナラティブ・アプローチでは、相手の話を傾聴することから、まずは語り手の言い分(ドミナント・ストーリー)を捉え、ここから抱えている問題を外在化させることで、問題を明文化していく。その後、外在化させた悩みに対して反省的思考を促す問いかけを行うことで、悩みという感情を課題へと転化させる。ここから最終的に「もうひとつ」の物語(オルタナティブ・ストーリー)を見つけ出すことで、語り手本人も気づいていなかったナラティブの新しい観点を与えることが可能となる。