歴史に名を残した偉人たちの成功戦略を、中小企業診断士の森岡健司氏がわかりやすく解説する本連載。第9回のテーマは「戦国時代のロイヤリティ」です。
戦国三英傑がとったロイヤリティ向上の秘策とは、どういったものだったのでしょうか?現代の企業運営において競争力向上に活かせるヒントが満載です!
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・顧客ロイヤルティの意味
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目次
今、注目されているロイヤリティ
昨今、ロイヤリティ(Loyalty)という言葉がビジネス上で注目されています。元来、ロイヤリティとは、辞書などを見ると忠誠心や愛着、愛情という意味とされています。
中世においては、王や君主に対しての忠誠心、組織への愛着や帰属意識を表すものとして使われていました。
現代のビジネスの世界においては、ロイヤリティは特定の組織やブランド、商品・サービスに対する忠誠心や愛着を表す言葉として使われるようになっています。
ビジネスの現場においては、下記の2つの意味で使用されていると思います。
1.従業員ロイヤリティ
従業員が自社や組織に対して強い帰属意識と誇りを持ち、熱心に貢献しようとする姿勢を表します。従業員ロイヤリティが高いと、仕事での生産性の向上や組織への定着率の改善につながります。
2.顧客ロイヤリティ
顧客が特定の企業やブランドに対して抱く信頼と愛着のことです。顧客ロイヤリティが高いと、リピート購入や口コミ拡散などのポジティブな効果をもたらします。加えて、特定のサービスを繰り返し利用したり、組織に対して献身的に尽くしたりする傾向があります
最近、両方のロイヤリティが収益や業績などに大きく影響を与える事が分かってきました。そのため、二つのロイヤリティを向上させる事が重要と考えられるようになり、積極的に下記の施策などに取り組む企業が増えています。
従業員ロイヤリティを高める方法
1. 企業理念やビジョンの共有
● 従業員が企業の価値観や目標に共感できるようにする
2. 公平で透明性のある人事評価制度の整備
● 従業員の成果や努力が適切に評価される環境を整える
3. 従業員の成長支援
● 1on1ミーティングの導入
● 定期的な研修
4. 働きやすい環境の整備
● 安心して働ける環境の整備
● 風通しの良い職場環境の構築
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顧客ロイヤリティを高める方法
1. 顧客サービスの質を向上させる
● 顧客の声に耳を傾け、サービスの質とスピードを高める
● 丁寧かつ親切な対応を心がける
2. ロイヤリティプログラムの導入
● ポイント制度の実施
● ランク制度の導入
3. 限定イベントや特典の提供
● 顧客とのコミュニケーション強化
● SNSを活用したユーザーコミュニティの形成
● 顧客の反応や反響の把握(アンケート調査、SNSの口コミ、顧客インタビューなど)
4. カスタマーエクスペリエンスの向上
● ブランドの強みを分析し、競合優位性を理解する
● 継続的にカスタマーエクスペリエンスの改善に努める
これらを計画的に実施することで、ロイヤリティを高めることができるとされています。
実際、多くの企業や組織が取り組んで実績を出しています。従業員ロイヤリティであればグーグルやサイバーエージェント、顧客ロイヤルティであればポニーキャニオンやヤッホーブルーイングが有名です。
そして、これは現代の組織だけではなく、戦国時代においてもロイヤリティ(忠誠心や愛着)は、自分たちの勢力の維持拡大にとって非常に重要な要素でした。
従業員ロイヤリティは家臣たちの忠誠心に、顧客ロイヤルティは朝廷や幕府などの外部組織や領民たちからの愛着や支持に置き換えることができます。
戦国武将たちは、この二つのロイヤリティを維持するため、現代にも通じるような色々な施策に取り組んでいます。
関連記事:信長・秀吉・家康たち戦国武将のインターナルマーケティング【歴史の偉人に学ぶマーケティング 連載第4回】
戦国武将たちも重要視したロイヤリティ
一般的には戦国大名の組織と言うと、江戸時代の大名たちのように、強固な忠義や忠誠心によって支えられていると思われがちです。
しかし、戦国時代には、後の江戸時代に形成された武士道のような精神性が浸透していないため、戦国大名の組織は非常に合理的かつ打算的な思惑の集合体のようなものでした。
戦国時代は不確定要素の多い弱肉強食の環境であるため、裏切りや寝返りは自分たちが生き残るためには当然の行為という前提でした。そのため、それぞれの勢力は、その時の状況に合わせて離合集散を繰り返しています。
優秀と思われるリーダーや組織の元に人が集まるのは必然であり、戦国武将たちは現代のロイヤリティと同様の施策を行っています。
従業員ロイヤリティにおける人事評価制度は重要でした。公平性や納得性が満たされていないと、敵方からの魅力的な条件提示によって、謀反や離脱などが起こります。
これによって形勢を逆転されて、そのまま滅ぼされてしまう事もありました。
顧客ロイヤリティにおける顧客サービスの向上は重要な課題でした。幕府や朝廷といった外部組織との関係性は、非常に注意を要しました。
また領民たちとも、良好なコミュニケーションを維持し、領国の安定のために協力を得る必要がありました。
意外にも、戦国武将たちの勢力拡大において、現代と同じく二つのロイヤリティによって、支えられていました。
現代でも参考になる事例もあると思いますので、戦国武将ごとに紹介したいと思います。
信長のロイヤリティ向上策
一般的な印象と違い信長が家督を継承した時点では、まだ尾張の四分の一ほどしか支配していませんでした。
さらに父祖以来の家臣は弟の信勝(信之)に付けられたため、自ら人材を見つけ採用していっています。有名な武将で言えば、豊臣秀吉や前田利家、丹羽長秀、滝川一益たちです。
地縁や血縁による採用が難しい中で、組織を拡大維持していくためには、現代でいうロイヤリティの向上は重要でした。
1. 企業理念やビジョンの共有
「企業理念やビジョンの共有」という点で、信長の有名な向上策として知られるのが「天下布武」です。
一般的にはこれを天下統一と思われがちですが、最近では天下は京都周辺を指していると言われるようになり、当時の首都である京周辺の騒乱を治める事を示していたとされています。
信長はこの「天下布武」の文言を印鑑として使うことで、組織として目指している目標を内外に広く示しています。
これは従業員ロイヤリティだけでなく、顧客ロイヤリティの向上にも繋がる施策でした。
当時、応仁の乱という敵味方が入り乱れる争いがあり、それ以降、京周辺は騒乱が続いて不安定な状況でした。
京を本拠地としている朝廷や幕府は非常に苦しい状況に陥っていました。信長は実際に軍事力と経済力をもって、上洛し治安の回復に乗り出しています。朝廷や幕府へ十分なサービスを提供して、厚い支持を得ています。
幕府とは後ほど対立することになりますが、朝廷からの信頼を得た事で天下統一事業の足掛かりとなりました。
2. 公平で透明性のある人事評価制度の整備
従業員ロイヤリティで有名なものとして「公平で透明性のある人事評価制度の整備」があると思います。
今以上に、身分や出自が重視される時代において、信長は秀吉を筆頭に能力と実績があるものを、その経歴を問わずに抜擢しています。
信長の評価は徹底しており、父祖以来の家臣に対しても厳しく対応しています。
家老の佐久間信盛をその成果の低さから追放しています。そして、その代わりに成果を出していた新参者の明智光秀を畿内地方の担当者に据えています。
また、秀吉や光秀以外にも、出自の詳細が不明なものが数多く重用されていました。
ただ、逆にその公平な評価を受け入れられずに謀反につながることもありました。
3. 限定イベントや特典の提供
信長は朝廷や領民のために大規模なイベントを色々と開催しています。
その一つが「京都馬揃え」と言われる織田軍団による軍事パレードです。
遠征中の秀吉は参加できずに悔しがっていたようですが、柴田勝家や丹羽長秀など主要な武将たちが名を連ねていました。
このイベントは、京周辺の治安回復を内外に示すために行われたと言われています。
また、天皇や公家が招待されており、馬での乗り入れが通常禁じられている内裏の東側にて行われている事からも歓迎されていたようです。
これ以外にも安土城で大規模な左義長を催しています。
関連記事:「広報・PR」を組織の発展に活用した織田信長・豊臣秀吉たち【歴史の偉人に学ぶマーケティング 連載第5回】
秀吉のロイヤリティ向上策
秀吉は農民出身と言われており、その実力で織田家の軍団長の一人にまで上りつめました。
信長の死後に、織田家中での勢力争いに勝利して、豊臣政権を樹立していきますが、父祖以来の家臣がほぼいない事もあり、組織の発展維持のためにロイヤリティの向上には苦心しています。
秀吉は特に外部向けの顧客ロイヤリティの向上には、かなり力をいれていたように思います。織田時代に自分より身分が上だったものへの処遇は慎重に対応しています。
1. ロイヤリティプログラムの導入
秀吉は信長の時代に対立していても、協力姿勢を示した場合には、敵対勢力を優遇していました。
毛利家や上杉家がこれに該当します。毛利家は約120万石、上杉家も約120万石と何カ国にも渡る領地を認められています。
また一時的に敵対したものの、実力を認め協力したものにも好待遇を示しています。
家康がこれに当たり、関東八カ国240万石とも言われる広範囲な領地を得ています。
さらに、それぞれには朝廷における官位なども高い位を与えられるなど、遅れて降伏した者との差別化が図られています。
2. 限定イベントや特典の提供
秀吉は国家事業規模のイベントを何度か開催してロイヤリティ向上を図っています。有名なものでは、北野大茶会や吉野の花見、醍醐の花見などがあります。
そのうち、北野大茶会と吉野の花見については、武家や公家、商人だけでなく、庶民も参加できる形で催しています。
北野大茶会は、現在の京都の北野八幡宮で開かれ、大名や公家、茶人だけでなく茶の湯に興味があるものは、町人や農民などその身分を問わず参加可能としました。
そのため京都だけでなく大阪や奈良から1000人ほど人が集まり、非常に賑わいを見せたと言われています。
吉野の花見は、現在の奈良県吉野郡吉野町の吉水神社で開かれました。庶民の参加も許されたようで、総勢5000人に達したようです。
歌会や茶会だけでなく仮装行列も開かれ、大名たちは思い思いの恰好をして参加しています。
この花見をきっかけにして、それまで貴族の遊びだったものが、庶民にも浸透したと言われ、それが現代の花見の文化になったようです。
家康のロイヤリティ向上策
家康は三河国の最大勢力であった松平家(のちの徳川家)を継承したものの、隣国の今川家に従属させられていました。
後に豊臣政権から実権を奪う形で徳川幕府を開く存在になります。しかし、多くの大名は秀吉に恩義のあるものが多く、当初の幕府には不安要素が強いものでした。
そのため、豊臣に縁の深い大名たちを政治から遠ざけつつ、徳川の家臣たちが政治をしやすいような緻密な制度や組織の構築が必要でした。
1. 公平で透明性のある人事評価制度の整備
家康は東軍勝利の立役者である豊臣大名たちには大幅に加増をしました。
細川忠興は18万石から40万石に、福島正則は20万石から49万石、黒田長政に至っては18万石から52万石と2.8倍も加増されています。加藤清正や藤堂高虎なども2倍以上の加増を受けて、高いロイヤリティを得ています。
一方で家康の家臣の中でもっとも活躍した井伊直政でも1.5倍ほどとなっています。
家臣たちに不満が溜まると思われそうですが、徳川幕府の運営には外様大名たちは関われないようにして差別化しています。
そのため外様の大名たちは勢力としては大きいものの、家康の家臣たちの顔色を伺うようになり、家臣たちの従業員ロイヤリティを高めています。
一方で家臣たちも強大な軍事力を有する外様大名たちを蔑ろにはできないため、お互いに緊張感のある構造になりました。
2. ロイヤリティプログラムの導入
徳川幕府には、室町幕府のころの名門でありながらも、戦国時代に没落した名家を高家という特殊な地位に取り立てています。
朝廷との交渉役など儀礼に関する役目を担うものの、領地は1千石程度の者が多く、1万石以上が最低ラインである大名たちに比べるとかなり少ない領地となっています。
しかし、朝廷における官位は小大名と同じクラスから始まり、最高で国持大名クラスと同等にまでなります。
忠臣蔵で有名な高家の吉良上野介は4200石で従四位上であり、斬りつけた浅野内匠頭は赤穂藩5万石で領地の大きさは10倍ですが、官位の上では従四位下で格下でした。
領地の大きさと官位の高さというランクを絶妙に使い分けて、幕府という組織は構成されていました。
現代にも通じる戦国時代のロイヤリティ向上策
事例のように戦国武将の多くは、組織の維持拡大のためには、色々な手法を用いてロイヤリティの向上を図っています。
その中で、信長は実力主義による人事により抜擢された秀吉たちの力により、天下統一の一歩手前まで勢力を拡大させることに成功しています。
ただし、そのシステムで出世した光秀によって滅ぼされてしまいます。
秀吉は協力的な外様の大名たちに大幅な領地を与える事で、ロイヤリティの獲得を図り、短期間で天下統一を完成させています。
しかし、秀吉の死後に、徳川家へのロイヤリティの向上に成功した家康によって、豊臣家は実権を奪われて滅ぼされてしまいます。
二人の失敗を踏まえて、組織内で名誉と実権を分離させたことで、徳川幕府は約260年間安定した政権運営が行えました。
現代であれば、地域で力を持つ支店長であっても、本社の経営方針策定などにはタッチできない仕組みかと思います。ホールディングス傘下企業との関係に置き換えてもいいかもしれません。
このように、歴史上の人物によるロイヤリティ向上の事例から、現代のビジネスに活用できるヒントがあると思います。