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信長・秀吉・家康たち戦国武将のインターナルマーケティング【歴史の偉人に学ぶマーケティング 連載第4回】

2024.8.19
読了まで約 7

中小企業診断士で『SWOT分析による戦国武将の成功と失敗』の著者である森岡健司氏が、戦国武将や歴史の偉人たちの戦略を解説する本連載。第4回は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が行なった「インターナルマーケティング」を解説します。

インターナルマーケティングとは、企業が従業員に対して行うマーケティング手法のことで、組織力を向上させることを目的としたプロセス全般を指します。従業員ロイヤルティ向上、組織パフォーマンス向上、そして顧客ロイヤルティ向上につながる好循環を生み出すことが目的です。

戦国の世で天下統一や平和維持のために、戦国三英傑はどのようなリーダーシップを発揮して組織力を向上させたのでしょうか?現代の経営術やマーケティング術につながるヒントを、天下人たちのインターナルマーケティングから学びましょう!

関連記事:織田信長の選択と判断をマーケティング視点で見てみる【歴史の偉人に学ぶマーケティング 連載第1回】

家臣のモチベーションの維持に苦労する戦国大名

戦国時代の上下関係は思いのほか緩かった事はご存知でしょうか?

当主が一旦命令すれば、家臣たちは自分の命を省みずに行動するものだと思われがちですが、実際はそれほど強固な関係ではありませんでした。

当主と家臣が忠誠心という固い絆で結ばれるようになるのは、江戸時代になってしばらく経ってからと言われています。

それまでは、現代の雇用関係のような契約に基づくような関係でした。

当主から与えられた領地などの御恩への対価として、家臣は奉公で返すというもので、それは想像以上にドライな関係性です。

弱肉強食の戦国時代において、武士たちの生存戦略として、好条件を示す敵に寝返るということは、決して卑怯なことではなく、どちらかと言えば当然の権利でした。

そのため敵方に鞍替えすることも多々ありましたし、力づくで当主を駆逐することもありました。

また、一般的なイメージとは違い、戦国大名は絶対的な権力を持っていた訳ではなく、集団の代表役というレベルの力しかありませんでした。

例えば、戦国最強のイメージがある島津家ですが、太閤検地を受けるまでは約21万石の領地の中で、島津当主の所領は約20%しかなかったと言われています。それに比例するように当主の発言力は限定的でした。

そのため戦国大名たちは家臣に見限られないように、それぞれの期待や思惑を配慮しながら、色々な施策を講じています。

この辺りは現代の企業が従業員のモチベーション維持に苦労し、インターナルマーケティングに力を入れることに通じていると思います。

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インターナルマーケティングとは

インターナルマーケティングは、企業の内部に向けたマーケティング手法です。

従業員満足度を高める施策を講じて、それが顧客へのサービスの品質向上に繋がり、顧客満足度の向上に反映されていくという手法です。

昨今、ファンマーケティングと合わせて非常に注目されています。

関連記事:秀吉・家康を警戒させた千利休と古田織部のファンマーケティング【歴史の偉人に学ぶマーケティング 連載第3回】

インターナルマーケティングには下記のような効果やメリットがあります。

1. 生産性や業務効率の向上
従業員が業務に前向きに取り組むようになることで、生産性の向上や業務効率の改善が見込めます。その結果、売上の拡大やコストの削減が期待できます。

2. 企業イメージやブランド力の向上
従業員のポジティブな姿勢は、B2C、B2Bに関係なく、顧客に良いイメージを与えます。これは企業や商品・サービスのブランディング向上にも繋がります。

3. 人材の採用コストの削減
人口減少による人手不足が加速している現況では、従業員の離職を防ぐためにも、または新規採用においても、非常に重要な要素となっています。

小売業やサービス業など、B2C向けに事業を展開している企業に効果的とされていますが、これはB2Bにおいても同様の効果があると思われます。

デメリットとしては、売上に直接関係しない点が挙げられます。インターナルマーケティングは、あくまで組織の根幹部分を強靭化するためのものです。

そして、インターナルマーケティングの手法としては、組織構造の最適化など色々な方法があります。その中で代表的なものとして下記があります。

1. 報酬や福利厚生を改善する
一般的に分かりやすい方法として、従業員の待遇の改善があります。労働と報酬の関係に納得性が増す事で労働意欲の上昇が見込めます。しかし、これには上限があると言われています。

2. 組織の理念やビジョンを浸透させる
組織のトップが自社の運営における理念やビジョンを明確化し、社内への浸透を図ります。目指す方向を理解する事で業務上での満足度の向上が期待できます。

3. 従業員の貢献意欲を高める
エンゲージメントの強化が貢献意欲の上昇に繋がります。そのために従業員に責任と権限を与えます。自主性を高めることが満足度の上昇に繋がります。

4. 自己実現できる体制を作る
自己実現は人間の欲求の中で最も高度とされています。従業員のやりたい事や目指している事を支援します。研修や資格取得などを補助し、成長をサポートします。

5. 組織構造の最適化
従業員の不満が少なく効率的に働けるための体制作りも重要です。業務フローに最適化した階層構造、適材適所への人材の配置などです。

そして、戦国大名たちも多くの家臣を抱え、組織を維持拡大していくために、現代のインターナルマーケティングの手法に近い内部施策を講じています。

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織田信長による茶道を活用した自己実現

織田信長は一般的なイメージでは、父信秀の遺産をすべて受け継いだおかげで、すんなりと天下統一事業に着手できたと思われがちです。

しかし、信長が受け継げたのは父の遺産の半分ほどで、主に新規採用や中途採用を繰り返し、自力で組織を構成していきます。現代に置き換えると、中小企業の二代目に近い環境にあったようです。

そのため家臣のモチベーションの維持・向上のために、現代のインターナルマーケティングと思えるような施策を講じています。

当時としては報酬や福利厚生の面で、感状(手紙)や領地、金銭などが主流でした。信長はそれらに加えて、特別な報奨として茶会で用いる茶器を与えています。

このころ文化の中心地である畿内では、公家や町人だけでなく武士も茶道を嗜む事が一種のステータスとなっていました。

有名な逸話として、家臣の滝川一益が報奨として領地ではなく茶器を信長に要望した話が有名です。茶器の代わりに現代の群馬県にあたる上野一国を与えられたものの、非常に残念がったと言われています。

信長は組織の理念やビジョンの点でも施策を講じています。足利義昭を保護して室町幕府の再興を支援し、書状に「天下布武」印判を使って、組織のビジョンを内外に示しています。

信長は自分たちの活動の大義名分を家臣および外部にも明確化させています。ちなみに天下布武とは、最近の研究によると全国統一ではなく、近畿地方に平和を布くという意味とされています。

これら以外にも、能力がある家臣たちを、方面司令官に任命して大きな権限と責任を持たせ、各地の攻略を任せています。現代で言うエリアマネージャーという感じでしょうか。

最後に、報酬での茶器と関連しますが、自己実現という面での施策も講じています。信長は報奨として家臣に茶会を開催する権利を用意していました。

茶会を主催する事は、当時の文化人としての嗜みでもあったため、この権利を有する者は周囲から羨望を集めていたと言われています。

実際、これを許された者は嫡子織田信忠、明智光秀、羽柴秀吉、村井貞勝などと限られています。このように信長が茶の湯を家臣統制に利用したことを御茶湯御政道と呼ばれています。

ただし、信長が茶会を許すほど認めていた光秀によって斃され、秀吉によって政権を奪取されるのは皮肉なものかもしれません。

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参考リンク:御茶湯御政道(Wikipedia)

豊臣秀吉による豊臣政権の理念とビジョンの活用

豊臣秀吉は信長の施策を引き継ぎつつも、天下統一を実現するために独自の手法も多く用いています。

特に農民から立身出世を果たしているため、父祖代々の譜代家臣を持っておらず、優秀な人材の確保や組織の維持に苦心しています。

報酬の面では、実力ある者や協力的な者に対して、相応の領地を与えていきます。徳川家康や毛利輝元、上杉景勝などには100万石を超える大領を認めています。

また石田三成や増田長盛などの優秀な官僚たちにも相応の領地を与えています。徳川幕府では考えられない報酬です。相応の領地によってモチベーションの向上を図り、豊臣政権への忠誠を引き出そうとしています。

また貢献意欲の面では、三成などのトップ官僚には、地方の大名たちの指導役を任せています。秀吉も能力があると思った者には、信長同様に大きな権限と責任を与えています。

朝廷から授けられる官位を家臣たちに大盤振る舞いしています。これまで公家しか貰えなかった高位の官位を与える事で満足度の向上を図っています。

そして、理念とビジョンを活用しています。信長の遺志を引き継ぐように、天下静謐(天子の命の下で、全国にわたる平穏な社会状況)という大義名分を用いて、戦国大名たちの統制を図っていました。

また豊臣家に従属した武将たちも、この大義があることで、自分たちの行動に正統性を感じる事ができるようになります。現代なら社会性の高いプロジェクトに参加しているイメージかもしれません。

その結果なのか、秀吉による天下統一事業はスムーズに進みました。戦国武将たちの多くも戦乱の時代に疲れ、安定の時代を求めていたのかもしれません。

ただし、天下統一後に、新たに秀吉が設定した唐入り、つまり中国を含めた東アジアの静謐(編集部注:せいひつ=静かで安らかなこと)というビジョンの再設定は、豊臣政権内部に大きな禍根を残すことになります。

この無謀とも言えるビジョン実現のために、家臣たちは二度の遠征で疲弊し、報酬や組織構造などへの不満も積み重なり、二派に分かれて内部抗争を始めてしまいます。

このインターナルマーケティングの失敗が豊臣政権の崩壊を早めたと思います。

徳川家康による江戸幕府の組織構造の最適化

信長と秀吉による政権運営を見てきた家康は、その成功面と失敗面を下敷きとして、慎重かつ大胆に改善を行っていきます。

家康が特に重視したのが報酬と組織構造だと思います。江戸幕府が260年も体制を維持できたのは、この最適化が成功したからかもしれません。

関ヶ原の戦いで勝利をした際に、活躍した豊臣譜代の武将たちには、大幅な加増を行い、その多くが国持大名クラスになっています。

例えば、加藤清正は肥後国、福島正則は安芸と備後、浅野幸長は紀伊、黒田長政は筑前、細川忠興は豊前などです。

一方で徳川家の譜代家臣については大きな加増を敢えて避けています。その代わりに、幕府の組織構造の中において、その評価を反映し調整しています。

豊臣政権では大領を有する外様大名を大老として政治に参加させましたが、江戸幕府では外様大名には政務に関わる権利を持たせませんでした。

政治を主導できる者は徳川家の譜代大名だけにし、大領を有する徳川御三家など一門衆であっても、政務に携われないようにしています。

しかも、官位においては大領を有する大名の方が上位にあるという絶妙な構造にしていました。それぞれのモチベーションを維持できるように、報酬と権限を明確に分けています。

また数が限られている官位も武家用として別に切り離す事で、公家に不満がでないように配慮しています。

一方で政務を担う譜代大名には相応の責任と権限を与え、成果を出した者には加増もされるようになります。また、複数名による担当制にすることで、権力の独占を防ぎつつも、負担を軽減するようにしています。

理念やビジョンにおいても、幕府は各大名たちに武力による統治ではなく、領民の生命活動を尊重する文治主義の浸透を図り、天下泰平を実現していきます。

ちなみに、五代将軍綱吉の生類憐みの令の目的は、生命の尊重の浸透にあったとも言われています。

しかし、幕末になると幕府の組織構造は時代にそぐわない面が増え、特に政治に参加できない大藩の外様大名や親藩大名たちの不満を増大させてしまう事になります。そして、朝廷との結びつきを求めるようになっていきます。

その不満を封じるために、井伊直弼が大老の権限で安政の大獄で粛正を図りましたが、いわゆる従業員満足度は暴発し、桜田門外の変という大老暗殺事件へと跳ね返ります。

この事件を契機にして、組織としてのモチベーションの維持が困難になり、最終的に崩壊していきます。

現代にも通じる戦国時代のインターナルマーケティング

信長や秀吉、家康たち戦国時代の権力者たちも、天下統一という大事業に向けて、組織力を向上させるために、現代のインターナルマーケティングに近い施策を家臣たちに講じています。

また、それぞれの置かれている環境や段階において、その施策に違いがある点も非常に興味深いと思います。

報酬や福利厚生については、際限なく増やすことは難しいため、成果とのバランスが非常に難しいのは現代と同じです。家康が幕府において報酬と権限を分けていた点は、現代ではあまり見かけない手法かもしれません。

理念やビジョンは、現代では最近こそ再注目されていますが、信長、秀吉、家康にしても巨大な組織を率いていく上で、強く意識していたと思います。

それぞれによって規模の違いはありましたが、天下の安定を掲げて行動しています。

貢献意欲という面では、意外にも信長が一番責任と権限を部下に与えていたかもしれません。その結果として明智光秀の反乱軍に斃されます(編集部注:たおされる=殺される)。自身の権限とのバランスに注意が必要だと言えそうです。

生命や生活の安全が見込まれるようになった現代では、特に自己実現の実現にスポットライトが当たっています。

戦国時代に信長は、茶の湯という文化を活用し、茶会の開催権を活用して、モチベーションの維持に務めています。

給与や報酬ではなく、やりがい等で仕事を選ぶようになってきた今だからこそ、信長の手法を参考にできる点もあるかもしれません。

組織構造の面で家康は豊臣政権時代の失敗を上手に反映して、組織を260年も維持できる絶妙な体制を作り上げています。報酬と権限が分離されているのは非常に面白いです。

ただ、どれだけ精緻に作られていても、いずれは改革が必要になる点は注目すべきでしょう。

こうしてみると戦国時代の組織を維持し、家臣を統制していくための施策の多くは、現代のインターナルマーケティングとも言えるほどに、通じるものが多くあります。この中の失敗例などは、従業員満足度を向上させる上で参考にすると良いかと思います。

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チェンジマネジメントとは?組織変革を成功に導くための手法や事例を解説
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執筆者

森岡 健司

森岡 健司(もりおか けんじ)

モリアド代表 中小企業診断士
前職にて企業の海外WEBマーケティングの支援に従事。独立後に中小企業診断士の資格を取得し、主に企業の経営サポートやWEBマーケティングの支援等を行っている。
2019年から、現代のビジネスフレームワークを使って戦国武将を分析する『戦国SWOT®』をスタート。
2022年より、歴史人WEBにて『武将に学ぶ「しくじり」と「教訓」』を連載。
著書に『SWOT分析による戦国武将の成功と失敗』(ビジネス教育出版社)。

※プロフィールに記載された所属、肩書き等の情報は、取材・執筆・公開時点のものです

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