生活様式や消費構造が急激に変化する現代において、日々新しいマーケティング手法が模索されている。そんな中で今注目されているのが「感覚マーケティング」(センサリー・マーケティング)だ。視覚や聴覚などの五感を活かして、商品・サービスの購買欲求やブランドイメージを肯定的に印象づけ、消費者の行動変容を促す手法である。
今回は「感覚マーケティング」を研究し、論文や著書、海外文献の翻訳などを幅広く手掛けている上智大学経済学部経営学科の外川拓准教授に、感覚マーケティングの奥深さを解いてもらい、その将来性についても伺った。
目次
視覚をはじめとした感覚は「消費行動」にどのような影響を及ぼすのか
ーー最初に、外川先生はなぜ「感覚マーケティング」というものに興味を持たれたのか、その経緯を聞かせてください。
外川拓氏(以下「外川」) もともと私は「ビジュアルデザインが人々の行動にどのような影響を及ぼすのか」を研究しており、その知見を深めるために早稲田大学大学院の商学研究科博士課程へと進んだことが感覚マーケティング(センサリー・マーケティング)に触れるきっかけでした。
博士課程では、日本を代表するマーケティング研究者であり、感覚マーケティングの第一人者でもある恩藏直人(おんぞう なおと)先生に師事し、視覚だけではなく、ほかの感覚も含めた人間のさまざまな感覚が消費者行動にどう影響を及ぼすか、という研究に従事していました。その後、早稲田大学の助手を経て、千葉商科大学の専任講師、そして准教授を継続しながら、2016年に研究留学という形で米国のオハイオ州立大学心理学科で心理学の研究を学ぶことになります。
なぜマーケティングに関連した学科ではなく心理学科に入ったかといいますと、心理学は歴史ある学問分野であるだけに、研究の方法論が確立されていたからです。たとえば実験をする際に、実験手法のチョイスから実験の組み立て方、それを最終的にどう論文として発表していくか、といった一連のプロセスが確立されているのです。そして2020年4月からは上智大学の経済学部准教授として、マーケティングの研究と教育に取り組んでいます。
人は寒色を基調とした広告に「未来」を、暖色に「懐かしさ」を感じる傾向がある
ーー感覚マーケティングの研究内容とは具体的にどういったものなのでしょうか。
外川 基本的には感覚マーケティングと、それにもとづく消費者行動に関する研究です。「感覚」というと、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚などの種類がありますが、その中でも私が注力して取り組んでいるのは視覚に関するものです。視覚による認識が、心理面にさまざまな影響を及ぼすことが最近の研究で分かってきており、研究の領域としては非常に奥行きがあります。
昨年、私が共同研究者とともに発表した「“色”がもたらす心理的効果」に関する論文を一つ紹介させてください。この研究では、青色などの「冷たさ」をイメージさせる寒色系の画像を広告の背景に使うと、暖かさを連想させる暖色系の背景にくらべて、人々はその製品やサービスを、より先進的に感じる傾向が強いことが明らかになりました。
関連リンク
・背景画像の「冷たさ」が商品の「新しさ」知覚の向上に寄与:温度の感覚が製品評価に与えるメカニズムを解明|上智大学
・The Temperature of Newness: How Vision-Temperature Correspondence in Advertising Influences Newness Perception and Product Evaluation(Journal of Business Research)
・(PDF) The Temperature of Newness: How Vision-Temperature Correspondence in Advertising Influences Newness Perception and Product Evaluation
視覚をトリガーに、他の感覚や心理面に影響を与える、という研究をより深く探求していくことで得られる知見は、広告などのマーケティング領域でいろいろと応用できるのはないかと考えています。実際に、視覚の影響力を意識したマーケティングやプロモーションは、我々の身の回りに溢れています。
たとえば自動車のモーターショーなど、“未来”をコンセプトとした展示には、冷たくクールな印象を与える寒色系のディスプレイが施されていることが多いのです。反対に、これは論文のなかで実証したものではありませんが、「暖色系のイメージからは懐かしさが連想される」ということも有り得ると思います。古き良き時代を懐古するテレビ番組や映画などのコンテンツでは、暖色系の配色を施すことで人々に「懐かしさ」を訴えかけています。たとえば、昭和30年代の東京の下町を舞台にした映画『ALWAYS三丁目の夕日』のビジュアルを思い浮かべてみてください。タイトルにもある夕日の色を基調にしていますね。
ーー人は青色に「未来」を、赤やオレンジには「昔懐かしい」という感覚を抱く。思い当たる節は確かにありますね。
外川 こうした「色」が人間の心理面に影響を与える研究が近年注目されています。たとえば心理学において「赤色が人を興奮させ、覚醒水準を高める」といった論文もいくつか発表されています。
このような研究をマーケティングの文脈に置き換えてみたときに、そこから顧客の判断や行動にどのような影響が生まれるのか、ということを探求していくのが私の研究です。
食品パッケージでは食品画像のレイアウトによって「食べる量」が変わる
ーー「色」以外の視覚情報で興味深い論文はありますか?
外川 これも以前、私が共同研究者とともに海外の学術誌に発表した研究になりますが、「ポップコーンのパッケージ画像の配置で、食べる量に変化が生じる」という実験結果があります。
関連リンク
・A Packaging Visual-Gustatory Correspondence Effect: Using Visual Packaging Design to Influence Flavor Perception and Healthy Eating Decisions(Journal of Retailing)
・(PDF) A Packaging Visual-Gustatory Correspondence Effect: Using Visual Packaging Design to Influence Flavor Perception and Healthy Eating Decisions
被験者には異なるレイアウトのパッケージのポップコーンを提供し、映画を観ながら食べてもらいました。被験者A群にはポップコーンの画像が「上」に配置されたパッケージを渡し、被験者B群にはポップコーンの画像が「下」に配置されたパッケージを渡しました。その結果、Aのパッケージの方が食べられた量が多かったのです。
ポップコーンの容量は双方とも40gで、A群は平均24g、B群は平均19gが食べられました。AとBの差は5gと小さなものですが、40g中の5gということ考えると、差は無視できません。両者の間には統計的に見ても有意差がありました。
この実験結果により、人は食べ物の画像が「上」に配置されると「軽さ」を連想して食が進み、「下」に配置されると「重さ」を連想して食べる量を控えることがわかりました。このメカニズムは別の統計分析でも証明されました。つまり食べ物の画像のレイアウトによって、人は食べる量を意識すると結論づけられたのです。
人間は、ブロックなどの重いものは下に落ちるし、風船などの軽いものは上に上がっていくことを幼いころから学習しています。こうした学習の結果として「軽い=食が進む」「重い=食が進みにくい」という連想が働くのです。
このように、視覚には大きな影響力があり、人の消費行動にも大きな変容を生み出すものだということがわかっています。
「赤」には人の情動や思考に対し、さまざまな影響を与える効果がある
ーー翻訳者として関わった書籍『感覚マーケティング―顧客の五感が買い物にどのような影響を与えるのか』についてお聞かせください。
外川 これまで「感覚による人々への影響」はさまざまな学者が研究してきたものの、いずれも散発的なものにとどまっていました。それらの一つひとつを丁寧にまとめ上げて体系化したのが、アラドナ・クリシュナ教授(ミシガン大学ロス・ビジネススクール教授)です。センサリー・マーケティングの世界的な権威の著書を翻訳することは、私自身にとって非常に大きな学びとなりました。
ーー表紙の赤色が大変印象的ですね。この色の選択にはどういった意図が含まれているのでしょうか?
外川 原著である『Customer Sense: How the 5 Senses Influence Buying Behavior』も表紙全面に赤色が用いられています。この点について、クリシュナ教授にその意図を尋ねたことがないため正確な理由は分かりません。ですので、あくまで私の推測にはなりますが、過去の研究では「赤」という色が、人の情動や思考にさまざまな影響を与えることが明らかにされています。
本書のなかでも、赤色が人の心理状態を変化させたり、特定のブランドのシンボルになったりする例が紹介されています。加えて、赤色から連想される内容には文化差があることにも触れられています。このように、感覚的な要因が多様な形で影響を及ぼすこともあり、その象徴的な色の例として、表紙に赤が用いられたのかもしれません。
ーー人の心理に変化を与える色の象徴として赤が選ばれた可能性があるのですね。こうした感覚マーケティングの研究は、クリシュナ教授のいる米国をはじめ、海外の方が盛んなのでしょうか。
外川 感覚マーケティングに関する研究は、論文も研究者の数も圧倒的に海外の方が多いのが現状です。特に米国は感覚マーケティング研究の先進国で、研究者層も非常に厚く、応用事例も豊富です。私自身も海外から常に新たな知見を得るため、毎年「Association for Consumer Research」や「Society for Consumer Psychology」という世界的な国際学会に参加して発表を行い、他の研究者とも交流を図っています。
業種を超えた感覚マーケティングのアプローチ:企業の取り組み事例
ーーこれまで感覚マーケティングについて、民間企業などからはどのような反響がありましたか?
外川 感覚マーケティングは、いろいろな業種業容で応用可能なものなので、自分たちでも驚くほど多様な分野の企業から相談や問い合わせをいだいていています。
たとえば小売業界の企業ですと、店舗のプロモーション効果向上のために店内で流すBGMや、照明の色合い、棚割りのレイアウト、チラシなどの広告デザインに至るまで、感覚マーケティングにもとづいたアドバイスを求められることがあります。
メディア系の企業ですと「どうすれば人々の共感を呼び、消費者行動を促せるコンテンツ制作やプロモーションを実現できるか」といった問い合わせをよく受けます。同じ感覚マーケティングでも、業界ごとにフックとなるポイントが異なってくるのがこの研究の面白さであり奥深いところです。
郵送クーポンとEメールクーポンの償還率実験。その差はなんと約6倍
ーー実際に企業とコラボレーションを行うこともあるのでしょうか。
外川 2017年から2020年にかけて、早稲田大学マーケティング・コミュニケーション研究所、日本郵便株式会社、富士フイルム株式会社との産学共同研究プロジェクトに参画していました。その成果の一部が、まもなく学術誌で論文として発表される予定です。
「デジタルマーケティングに旧来のアナログ手法を取り込むことで、新たな効果を発見する」ことをテーマとした研究で、富士フイルム社のネットプリントサービス会員7500人を対象とした実証実験を行いました。
具体的には、検証タームを2回に分け、1回目に「郵送のDM」、2回目に「EメールによるDM」という順番でクーポンを送る「A群」、1回目に「EメールによるDM」2回目に「郵送のDM」という順番でクーポンを送る「B群」、1回目、2回目ともに「EメールによるDM」を送る「C群」の3つに分け、それぞれのクーポン償還率を測定しました。
その結果、A群がもっとも償還率が高く、次いでB群、C群という順番になりました。A群とB群にはほとんど差がありませんでした。ざっくり言うと「郵送のDM」で受け取ったクーポンの方が(A群、B群)、「EメールによるDM」で受け取ったそれ(C群)よりも約6倍も償還率が高いという結果になったのです。
紙DMが創出する特別なマーケティング効果「物理的な存在感」と「大切にされている感」
ーー郵送のクーポンとEメールのクーポンに約6倍もの差があるのは驚きですね!
外川 理由はいろいろ考えられますが、私たちの研究で注目したのは、認知的エンゲージメント、つまり「どれくらい注意深く、じっくりと考えながら内容を読むか」という変数です。統計的な検証を行った結果、「紙媒体で読んだとき、ディスプレイで読んだときに比べて、認知的エンゲージメントが高まり、結果的にクーポン償還という行動につながった」というメカニズムが明らかになりました。
論文では触れていませんが、他にもさまざまなメカニズムが考えられます。たとえば、物理的なDMの場合「保存性」が大きいという特徴があります。「EメールによるDM」ですと、日々届くメールがどんどん積み重なり、当該のクーポンメールが埋没してしまう状況になりがちです。一方の「郵便のDM」は物理的なものですので、机やテーブルに置いておいたり、マグネットで冷蔵庫に貼り付けておいたり、といった状態に持っていくことができます。つまり常にその存在を目の端や頭の片隅にとどめておけるのです。
また、共同研究者との議論のなかで、人の心理として、Eメールよりも郵便のDMの方に「自分が大切に扱われている感」が強く現れる可能性も指摘されていました。無形のEメールに対して、郵便は紙という有形のものを知覚できますので、「この会社は自分のことをちゃんと認識し、こうやって紙に印刷したものを郵送してくれる。わざわざ手間暇をかけて!」という好意的な印象を抱きやすいのかもしれません。
つまり「人は物理的な紙のDMを受け取ると、うれしく感じるのと同時に、興味が持続する」ということが言えそうです。
ーーなるほど。BtoBマーケティングにおいても紙のDMやパンフレット、リーフレットなどの紙資料を併用したほうがエンゲージメント効果は高まりそうですね。
関連リンク
・パンフレットとリーフレットの違いとは!それぞれの特徴と違いを解説!
・マーケティングにおけるDMの役割とは? その効果と実施のためのポイント
マーケティング成功の鍵はデジタルとアナログの使い分けにあり
外川 「紙」という素材にはさまざまな効果があるため、新聞社などの「紙」という伝統的な素材を使ったメディアから関心を持っていただくこともあります。
紙ははるか古代から記録や情報の伝達、芸術表現などで人類に身近な存在であり続けてきました。おそらく誰もが、物理的に存在する紙に情報を載せて伝えることの効果を肌で感じているのではないでしょうか。そうしたことが学術的な視点で証明でき、感覚マーケティングに取り組む研究者として、非常に大きな収穫だったと感じています。
ーー近年の急速なデジタルマーケティングへの変遷に一石を投じるような結果ですね。
外川 もちろん「マーケティングにおいて全面的に“紙”が優れている」という結論になる訳ではありません。デジタルマーケティングがコスト面において有利なのは間違いありませんし、効果検証がしやすく、即時性や柔軟性も高い。大切なのは、どのような施策にも一長一短があることを認識したうえで、それらの「いいとこどり」をするという発想です。つまり、デジタルとアナログ、両者の特性をしっかり理解し、目的に応じてうまく使い分けていくことが、これからのマーケティングを成功させる鍵となることでしょう。
実際にデジタルマーケティングを専門としながらも、「紙ヒコーキになる招待状」や「テンキーチョコ」などのユニークなノベルティーグッズやDMを巧みに組み合わせたマーケティング手法が成功し、「全日本DM大賞」を連続受賞している企業も存在します。
関連リンク:全日本DM大賞
ーー全日本DM大賞の第37回で金賞グランプリを受賞した「freee 会計」のテンキーチョコDMがとくに印象的ですね。自社の経理メンバーが前職でもらったそうで、記憶に残っているそうです。
外川 認知的なエンゲージメントが促進された好例ですね。このように「デジタルとリアル」を効果的に融合させ、新しい体験に基づく消費者行動やエンゲージメントを促進するためにも、「感覚マーケティング」は今後もさまざまな企業や場面で活用されていくことでしょう。この研究に取り組むことは、研究者として非常に喜ばしいことです。
外川氏の連載記事
・グローバル視点で考える感覚マーケティング【上智大学 外川拓准教授 連載 第1回】
・ブランド・ネームの力【上智大学 外川拓准教授 連載 第2回】
・マーケティングにおける視覚デザインの活用-海外論文の知見から―【上智大学 外川拓准教授 連載 第3回】