歴史の偉人たちの戦略を、中小企業診断士の森岡健司氏が解説する本連載。第6回は、戦国武将たちが行なった「ブランディング」を解説します。
たとえば、武田信玄=風林火山、直江兼続=「愛」の鎧、伊達政宗=独眼竜、真田幸村=六文銭に赤備え、など、戦国武将にはそれぞれわかりやすい象徴的なイメージがあります。果たしてこれらのアイコンにはどのような意図があり、どのようにブランディングへ影響しているのでしょうか?
今回も時代の覇者たちから、マーケティングや経営、人事などにもつながるヒントを学びましょう!
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目次
ブランディングとは
一般的にブランディングとは、自社や自社の商品・サービスに対して、顧客に独自の価値を感じてもらうようイメージ、つまりブランドを浸透させることです。
自社や自社の商品・サービスを、お金と時間を費やしてでも購入したいと思わせることで、同業他社や同種の商品・サービスとの差別化に繋がります。
ブランディングの効果として、他社との差別化以外にも、下記のものが期待できます。
● 顧客ロイヤルティの向上
● 価格競争からの脱却
● 企業イメージの向上
顧客ロイヤルティが向上すると、愛着を持ってくれた顧客は、気に入った商品を何度もリピートで購入してくれたり、新商品の購入の心理的ハードルも下がったりします。
また価格で競争しなくても良くなることから、正当に利益を確保できることで、収益の安定化にも繋がります。
現代においてブランディングは、もはやBtoCだけでなくBtoBのような企業間取引においても、重要な施策となっています。
さらに、ブランディングによって企業のイメージが良くなると、社会的な認知度や信頼性も高まり、顧客だけでなく自社の従業員のモチベーション向上も期待できます。これをインナーブランディングと呼びます。
また、そうしてブランド力が高まることで、人材採用においても、数ある競合企業の中から自社を選んでもらえるという良い効果も生まれます。インナーブランディングとは別に採用・育成ブランディングと呼ぶこともあります。
ブランディングまたはブランドアイデンティティを構成する要素として、区分けが難しいものもありますが、下記などがあるとされています。
ブランド名 | 企業名や商品名など、ブランドを代表する言葉 |
ブランドカラー | ブランドのイメージを連想させる色 |
ブランドロゴ | ブランドの視覚的な象徴であり、最も重要な要素の一つ |
ブランドストーリー | ブランドの誕生秘話や歴史など、ブランドの物語 |
スローガン | ブランドの理念や価値観を簡潔に表現した言葉 |
これら以外にもイメージキャラクターや接客サービスなども含まれます。
ブランディングは、これらの要素を組みあわせたもので、企業の考えや想いなどの認知を深めてもらい、信頼性や親近感を醸成していきます。
そして顧客やステークホルダーと継続的な関係性の構築を狙いとしています。
Appleやスターバックスなど世界的な企業の多くは、ブランディングによって顧客からの信頼獲得に成功した事で、長く支持され続けていると思われます。
世界中の多くの企業が、自社や商品・サービスのブランディングに力を入れています。
そして、意外かもしれませんが、400年前の戦国武将たちの中にもブランディングを意図的に実践し、成功したものたちがいます。
関連リンク
・ブランディングとは?意味やマーケティングとの違い、成功事例と効果
・ブランドリフトとは?ブランディング広告の効果を把握する調査方法
・採用ブランディングとは?取り組む目的、ポイントを解説!
生存戦略としての他者との差別化
戦国時代において、家名を存続させていくためにも、戦場での武勇で名を知らしめることは重要な要素でした。
そのため武将の中には、戦での活躍によって異名を持つものも現れて、周囲に恐れられたり敬われたりしました。
そして、この異名や二つ名が、現代のブランド名のような効果を持つこともあり、他者との差別化に繋がりました。
例えば、徳川家康の家臣の本多忠勝も、その槍働きによって秀吉から「天下無双の大将」と称されて、全国に知られる存在となりました。
その後、7代目のころに後継者がなく改易になるところを、初代の忠勝の活躍を偲び、条件付きで本多家の存続が許されています。
忠勝は現代でも、その異名と「蜻蛉切」という槍と共に非常に人気の高い武将です。江戸時代を通じて、現代でも本多家のイメージを高めています。
また、現代のブランドアイデンティティやブランドロゴのように、戦国武将の多くは戦において、独自の印や家紋をいれた旗印を掲げて、敵味方に存在をアピールしています。
戦で活躍することで、異名と共に、その印も世間に周知され、それ以降の戦場での影響力も増大します。
武田信玄は多くの方が知っているように「風林火山」の旗印を用いて、上杉謙信や徳川家康などと戦いました。この文言は、信玄の価値観を表しているとされて、今では信玄の代名詞のようになっています。
そして、戦国時代も後半になると、この旗印から発展して、趣向を凝らした形状の飾りの馬印が用いられるようになります。馬印は敢えて目立つように本陣に掲げる事で、武将たちは自己の武威を示しました。
一番有名なものでは豊臣秀吉が用いた金の千成瓢箪でしょうか。金箔をあしらったものが好みだったようで、黄金の茶室と合わせて、派手好きな秀吉のブランドカラーのようになっています。
また鎧の色に拘る武将もいましたが、兜の前立てと呼ばれる飾りを独自の意匠にする者も多くいました。
大河ドラマ「天地人」で有名となった直江兼続が使用した「愛」の文字をあしらった兜は有名です。これは兼続が大事にする「仁愛」を表現したとも言われていますし、守護神としていた「愛染明王」から取ったという説もあります。
兼続は主君である上杉景勝のために身命を賭して尽くしています。そのストーリー性と相まって、人間性を示す「愛」の方のイメージが根付き、現代における兼続のイメージを高めています。
さらに、もっと意図的にブランディングを行い、成功した戦国武将がいます。
伊達政宗ならではの「独自ブランディング」戦略
伊達政宗は現在のイメージのように、新しい物好きであり、派手で粋を好む武将でした。
特に他人からどのように見られるのかを計算して行っていたように感じられます。
政宗といえば、黒漆五枚胴具足という黒漆で染められた鎧兜が有名です。巨大な三日月の飾りのものなので、多くの人が一度は見た事があるかと思います。
この黒い鎧は中国の唐の末期に現れた猛将李克用が黒い軍装で統一して恐れられた事を参考にしたのではないかと言われています。
この李克用は政宗と同じく隻眼であったことから、中国の史書には独眼竜という異名が残されています。政宗はこの人物にあやかる形で、自分の馬廻り衆も黒装束に統一させたという説があります。
尚、当時の政宗は独眼竜とは呼ばれていませんでした。江戸時代の思想家である頼山陽が、李克用になぞらえて、政宗を独眼竜と呼んだことをきっかけに、現代でも根付くことになります。
また、ブランドのスローガンのように、政宗の生き方や考え方がファンを生み出して支持されています。
政宗は秀吉や家康などの天下人に従いながらも、常に天下を伺う姿勢を垣間見せる事が多く、非常に警戒すべき、やっかいな存在でもありました。
豊臣政権下でも一揆を煽動したと疑われて、白装束をまとって謝罪しています。関ヶ原の戦いでも東軍よりの姿勢を示しながらも、実際は旗幟不鮮明な行動を取っており、加増は必要最小限だけにされました。
江戸時代になっても、家康の六男忠輝の舅として、幕府転覆を噂されるなど、常に警戒される存在でした。
しかし、三代将軍家光からは、政宗の戦国時代のままの反骨精神が愛されて、伊達の親父殿と呼ばれて、実父の秀忠よりも慕われたと言われています。
政宗は家光からは徳川一門衆並み、またはそれ以上の特別待遇を受けるようになります。幕府の後ろ盾のような存在になっていきます。
これは家光が戦国時代を戦い抜いた政宗が持つブランド力に、非常に高い価値を感じていたからだと思われます。
上杉景勝が活用した「上杉謙信=軍神」ブランド
上杉謙信はその戦の強さから軍神と恐れられる存在でした。生涯のうちに17回も関東へ出陣して、武田家や北条家と戦っています。また生涯で負けたのは、わずか2回だけとも言われています。
しかし、上杉謙信亡きあとの上杉家は、二人の養子による家督争いによって、大きく勢力を弱めてしまいます。
謙信の甥にあたる上杉景勝が承継し、北陸攻略を進める織田家と対峙しますが、劣勢に追い込まれており、本能寺の変での混乱によって命脈を保つ事ができたような状況でした。
景勝は謙信時代の軍神のイメージを取り戻すためか、人前では絶対に笑わないことで威厳を示していたという逸話が残されています。真偽は不明ですが、傾奇者として有名な前田慶次郎こと利益が景勝にだけは畏敬の念を持って接したというと言われています。
また軍の統率において非常に規律を厳しく保ち、さすが謙信以来の軍法と称されています。
このような武門としてのブランドイメージは、秀吉や家康からも高く評価されています。秀吉には五大老と呼ばれる重要な地位を任されて、関東東北の抑え役として会津地方に加増転封されています。
関ヶ原の戦いでは西軍として戦いますが、東軍の伊達政宗は上杉家を警戒して、当初は戦闘を避けています。
この時の上杉家の撤退戦が見事であったため、敵方から賞賛され、さらにブランド力を高めています。
家康も謙信以来の武門としてのブランドを評価しており、家康は死ぬ直前に伊達家と佐竹家と合わせて後事を託すために駿府まで呼び寄せています。
秀忠も重大な事案について、景勝を含めたこの三人に事前に意見を聞くようになります。
このブランドイメージは上杉鷹山を経て、代々引き継がれ、現代でも上杉という名前からは「武」を想像してしまいます。
真田信繁(幸村)も利用した有名ブランド「武田信玄軍の赤備え」
武田信玄も謙信と同様に、戦に強いというイメージが強く、それは当時でも一種のブランドとなっていたと思われます。
信玄の采配や策略なども恐れられていましたが、武田軍の赤い装束で統一された赤備えの軍団の強さは、敵や周辺勢力に強烈なイメージを植え付けていました。
「武田の赤備え」は、敵味方に関係なく、恐怖の的としてブランディングに成功していたようです。
そのため、家康は武田家が滅亡すると、徳川軍の先鋒を任せている井伊直政に、旧武田家臣を配して、装いも赤色に統一させて「武田の赤備え」を再現しています。
この赤備えで直政が活躍した事で「井伊の赤鬼」という異名で呼ばれるようになります。
井伊家では末端の足軽まで赤い軍装で揃え、それは幕末まで続きましたが、この赤色は夜間でも目立つため、恰好の的として狙撃され被害を大きくしてしまい、ついに廃止することになったようです。
ただ、現代では、ご当地キャラのひこにゃんのイメージカラーとして引き継がれています。
一方で、武田家臣団の流れを組む真田幸村も、大阪の陣では自分の軍を赤備えで編成しています。
これは武田家の武勇を継承する者というアピールに加えて、自軍の活躍を敵味方に周知させやすい事を目的としていたとも言われています。
その目論み通りに、真田隊の活躍ぶりは戦場で評判となります。
敵方の島津家はその活躍ぶりを本国向けの手紙の中で「日本一の兵」として賞賛しています。
また同じ敵方の黒田家では、その赤備えの軍勢を屏風絵として残しており、現在にもその姿が伝わっています。
真田幸村のイメージカラーも赤として、現代でも多くの人に認知されています。「武田の赤備え」から転じて赤い装束は、武将の価値を高める色になっています。
関連リンク:感覚マーケティングのチカラ:上智大学 外川准教授が語る消費行動への影響力(「赤」には人の情動や思考に対し、さまざまな影響を与える効果がある)
現代にも通じる戦国武将たちのブランディング戦略
現代のブランディングの大きな目的は、顧客やステークホルダーに対して、企業や商品・サービスに持ってもらいたいイメージを浸透させることです。
戦国武将たちも、時の権力者や周囲の実力者に、自家や自分たちの認知度を拡大させ、魅力を浸透させたいと思って、上記の事例以外にも色々と工夫を凝らしていました。
ただ、武将たちが築いたブランドの多くは、時代とともに失われたり、忘れられたりしてしまいましたが、一部のブランドは400年以上の時間を超えて、現在にまで引き継がれています。
例えば、先ほど紹介した伊達政宗などは非常に成功しているケースだと思います。
多くの人が伊達政宗と聞くと、「独眼竜」「黒い甲冑」「反抗的」「隻眼」「派手好き」「天下への野心」「かっこいい」という言葉やイメージを想起するでしょう。
当時から政宗はそうなるよう意図的に仕向けていた面がありますが、軍記物や書物、口伝などで語り継がれていく中で、多くの人たちの支持や人気を集めていきました。
実際に今では伊達政宗という存在は、一つのブランドとして確立されていると思います。仙台に行けば、政宗に縁のある場所は観光地となっていますし、そのビジュアルやイメージなどはお土産物の素材として利用されています。
また真田幸村についても、「戦略家」「忠義者」「赤備え」「反骨心」「英雄」というイメージを連想させます。
幸村の場合は、伊達政宗よりも、大阪の陣で徳川家康をあと一歩まで追い詰めたという史実がストーリーとして、ブランド力を強力に補完しています。
加えて、少ない兵力で強大な幕府軍に善戦したことが判官びいきな国民性にマッチし、家康からの寝返りを断ったという逸話も、大きな効果を生んでいると思います。
政宗同様に、幸村というブランドは観光地やお土産物の素材として珍重されています。
さらに、この二人のブランド力の強さは、現代でも映画やドラマの主人公として何度も取り上げられるほどです。そして、毎回、それらのコンテンツは非常に人気を博しています。
それはテレビの特番での人気ランキングなどでも、常に上位に入ることでも証明されています。
また、二人揃ってゲームの主人公として取り上げられ、そこからアニメ化されるほどです。
ブランディングのヒントは、現代の世界的な企業からも学べますが、日本に存在したこれらの戦国武将からも学べることはたくさんあると思います。
政宗のように独自でブランディングした成功パターンだけでなく、幸村や景勝のようにすでにあるブランド力にあやかって成功したパターンもある点も興味深い事例です。
ブランディングという視点で、詳細に戦国武将たちを分析してみると非常に面白いかもしれません。