大手レコード会社で宣伝畑を歩み、老舗音楽事務所スマイルカンパニーの代表を務めた後、合同会社デフムーンを設立した黒岩利之氏。メディアプロモーション、アーティストプロモーションの専門家が見た音楽業界のマーケティングとは?第2回では、音楽業界におけるプロデュースについて語ってもらう。
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目次
レコード会社におけるプロデュースとは
日本語では、製作と制作という言葉の違いがあるように、プロデュースといっても指し示す範囲は幅広く、なかなか一言で言い表すことはできません。音楽業界でプロデュースと言えば、音を作り、その音源をユーザーに届けることを指します。そこでいうと、レコーディング現場などで、作品そのものを創造する=創るという行為は“制作”であり、その音源を商品化するための工程が“製作”と分けて考える必要があります。
レコード会社、レーベルスタッフにおけるプロデュースとは何でしょう?まずは“制作”の部分から見ていきましょう。昔はハウスディレクターと言われる、現場“制作”者もレコード会社に内包されることが多かったのですが、現在は、ほとんどのレーベルがディレクター(制作者)のアウトソーシング化が進んでいます。
そこで問われるプロデューサーとしての資質は、今の音楽シーンにおけるヒット曲の動向、トレンドをしっかりキャッチして、旬なクリエイターの知識やネットワークを持つこと。それを駆使することで、SNSでバズりやすい、あるいはDSPのプレイリストに入りやすくサブスクで聴かれやすい曲作りを目指すことになります。
そして、音源制作の先には、その音源を世に出すための“製作”の作業が待っています。そこで問われるプロデューサーとしての力量は“調整力”というのが一番問われるのではないかと思います。社内で企画書を通す、稟議を回し決済を得ることが、まずは“調整”の最初の一歩です。
そのためには、アーティストとの契約書を結ぶところからがまずは重要です。どんな条件で契約をするかによって、P/L(損益分岐)の出し方も変わっていきます。どれだけ、リクープしやすいプロダクツか、売れたときの利益の幅がどれだけ大きいかの指標をわかりやすくまとめて、上長や管理部門に分かりやすく数字でプレゼンテーションすること。その技術がまずは問われることになります。
その上で、アーティスト資料やプロフィール、デモ音源などを用意し、各部門の理解とシンパシーを深めていく。音楽業界に就職した人ですから、皆さんそれなりの売れる音に対する哲学や思想、趣味がある。そのハートをとらえて、まずは自分のアーティストのシンパになってもらうこと。
社内での応援体制を作ることもまた、“調整力”ということになります。それを発売の2か月以上前に行われる編成会議までに各種根回しを終わらせて、そこで上程されるプロダクツに対する、売るぞという社内ムードを作っておくことが大事です。
もちろん、マーケティング手法やメディア戦略(SNSも含めた)、店頭展開(今ではDSPでの展開)のイメージなど、各部門との事前協議の上、精度を高めたものをその場で提案することも大事です。そうすることで、“海のモノとも山のモノともわからない”アーティストが全社一丸となって売り出すプライオリティ新人となっていくのです。
上記のような“制作”と“製作”その両軸での手腕こそが、レコード会社におけるプロデュース力なのではないかと思います。
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マネージメントが求められるプロデュースとは
一方、マネージメントが求められるプロデュースとは何でしょう?アーティストという生身の人間そのものが原資となるマネージメントでは、その捉え方も異なってくるように感じます。
一昔前だと、アーティストに寄り添いながらひたすら音源を制作し、ライブを積み重ねることで、まずはしっかりとコアファンを増やしていく、そんなイメージがマネージメントにありました。最近では、マネージメントにも別な力が必要になってきているように感じます。それは、ゴールが所属アーティストをメジャーレーベルとなるべく有利な条件で契約することとは限らなくなってきているからです。
かつては、アーティストを世に出すためには、メジャーレーベルの有するインフラや市場への拡散力がどうしても必要でした。全国津々浦々のCDショップに作品を供給することも大事ですし、メディアを使っての大規模な宣伝力の投下もブレイクさせるための条件でした。
しかし、時代の潮流がパッケージから配信、そしてサブスクに移行し、メディアもSNSが中心となり、メジャーレーベルの力を借りないインディーズでも充分、大きなマーケットを獲得できる。むしろ、メジャーとの契約に背を向け、インディーズで活動することの困難が減少し、今までメジャーと契約することで差し出していた利益そのものをマネージメントが独占できるような時代に突入したとも言えます。
そうすると、よりアーティストからの自己発信が何よりも重要になってきています。そこで、マネージメントに問われるのは、アーティストとコミュニケーションを取りながら、どうその発信力を高めていけるかということだと思います。アーティスト育成をしながら、YouTube、インスタ、X(Twitter)、Facebook、TikTokなどそれぞれのSNS媒体の特性を理解し、自己発信していけるようアーティストを導いていく、それも大事なプロデュースであると言えるでしょう。
しかし、それぞれの立場で上記のような力をいくら発揮しても、その商材をヒットさせられるかどうかというのは別問題です。その先にヒットを出すためのあらゆる戦術、戦略を繰り出していくことこそが、プロデュースが目指すゴール“真のプロデュース”であるということができます。
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平井堅をブレイクさせたA&R吉田敬のプロデュース戦略
拙著【「桜」の追憶 伝説のA&R吉田敬・伝】では、色々な局面でのプロデュースの実際を描いたつもりですが、ここでご紹介したい印象的なエピソードは、平井堅を売り出すために、吉田敬氏が実行に移した作戦です。
当時、平井堅はドラマ主題歌で華々しくデビューしたものの、すぐにブレイクには至らず、しばらく鳴かず飛ばずの状態でした。しかし、デビュー当時から地道にプロモーションを重ねたことが最終的に花を開かせるための仕掛けにつながっていきます。
まず“制作”面では、前回の連載でもふれた“椅子取りゲーム理論”を応用し、MISIAや宇多田ヒカルが牽引していたR&Bというジャンルに男性R&Bの担い手として打ち出していく方針を取ります。当時の旬なジャンルとなっていたR&Bというマーケットへ訴求して作られた曲が「楽園」。年明けの全体会議で「今年は平井堅を売ります!」と宣言し、各部門を巻き込んでいきます。
ビジュアルイメージも刷新。三重県出身の爽やかで朴訥とした青年のようなビジュアルをドレッドヘアにしてビジュアル面でもR&Bの匂いを感じさせるものへとチェンジしていきます。
そして、吉田氏が真のプロデュースとして平井にたてたマーケティング戦略は、本人がレギュラー番組を持ち、応援体制ができている北海道と福岡・北九州というFM局でのヘビーローテーションと言われる楽曲の大量オンエアを実施し、その地域でしか見られないテレビCMを独自に制作。当時人気女優だった江角マキコを起用したインパクトあるクリエイティブで話題を呼び、その情報を全国区へというものでした。この青写真が見事に当たり、平井堅はブレイクのきっかけをつかみました。
ここで僕らが学ぶことができるのは、プロデュースとは、“調整力”をもってアーティストやその作品を世に出す際の強みや魅力をどう打ち出していくかを考えること。そして、スペシャリストを揃え発注し、状況を整える人であると同時に、その作品=商材を世間に向かってどう打ち出していくかをプランニングし、実践していくこと、それを含めた全体をプロデュースする総合力が問われるということなのだと思います。第3回(実践で学んだマーケティング概念〜第3回「音楽業界におけるリーダーシップ」|合同会社デフムーン黒岩利之 連載)では、音楽業界におけるリーダーシップについてお伝えします。